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辰巳柳太郎 : ミニ英和和英辞書
辰巳柳太郎[たつみ りゅうたろう]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [たつ]
 【名詞】 1. fifth sign of Chinese zodiac (The Dragon, 7a.m.-9a.m., east-southeast, March) 
: [み]
 【名詞】 1. sixth sign of Chinese zodiac (The Serpent, 9a.m.-11a.m., south-southeast, April) 
: [やなぎ]
 【名詞】 1. willow 2. slim 

辰巳柳太郎 : ウィキペディア日本語版
辰巳柳太郎[たつみ りゅうたろう]

辰巳 柳太郎(たつみ りゅうたろう、1905年明治38年)4月20日 - 1989年平成元年)7月29日)は昭和に活躍した俳優島田正吾と共に、劇団新国劇の屋台骨を支えた。本名は新倉 武一(しんくら たけいち)。
== 来歴・生涯 ==
兵庫県赤穂郡坂越村(現・赤穂市)生まれ。少年時代に養子に出されるも、養家を13件も転々としながら大阪市立甲種商業学校(現・大阪市立天王寺商業高等学校)を中退し、1919年、小林一三が国民劇創設のため作った「男子養成会」の創設メンバー・男子専科生第一期生として宝塚入りした。1926年(大正15年)に旅回りの一座に入り長野で初舞台を経験する。半年後、小林一三主宰、坪内士行文芸部長の「宝塚国民座」に入団、東伍作の名で舞台に立つ。
その後、新国劇の澤田正二郎の魅力に引かれ1927年(昭和2年)、道頓堀浪花座で公演中の澤田を楽屋に訪ね弟子入りを直談判し新国劇への入団を許される。新国劇での初舞台では『国定忠治』の駕篭かき役を演じた。その後、芸名を「辰巳柳太郎」と改める。芸名は師匠の澤田が辰年、柳太郎が巳年生まれだったことに由来する。しばらく端役が続いたが1929年(昭和4年)、澤田が急死すると俵藤丈夫文芸部長によって島田とともに澤田の後継者に大抜擢される。抜擢の理由は沈着冷静な島田と明るく奔放な柳太郎を合わせると澤田の芸風に似たものが出来るだろうという考えからであった。
その後『大菩薩峠』の机竜之助や『宮本武蔵』の武蔵、『無法松の一生』の富島松五郎、『王将』の坂田三吉などの主人公を豪放磊落に演じきり島田と共に二本柱として新国劇を支える。
戦後になると映画界に進出し1949年(昭和24年)に『どぶろくの辰』で初出演、以降は映画でも島田とたびたび共演したのをはじめ1954年(昭和29年)には日活の映画製作再開に伴い劇団ぐるみで同社と契約、映画界においても「辰巳・島田ブーム」を巻き起こした。しかし大衆演劇の衰退と共に新国劇の観客数は減少、1987年(昭和62年)、70周年記念公演終了後、新国劇は解散することになる。解散の2年後、1989年(平成元年)に死去。弟子に大友柳太朗緒形拳らがいる。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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