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辻 吉郎(つじ きちろう、明治25年(1892年)8月24日 - 昭和21年(1946年)12月9日〔『CD 人物レファレンス事典 日本編』、日外アソシエーツ、2002年。〕)は、日本の映画監督、脚本家、俳優である。初期の俳優時代の芸名は市川 芝喜蔵(いちかわ しきぞう)、晩年に辻 吉朗(読み同)に改名している。 == 来歴 == 明治25年(1892年)8月24日、秋田県に生まれる〔映画『槍供養(やりくよう)』の画像配信 、京都府、2009年11月4日閲覧。〕。 東京市神田区三崎町(現在の千代田区三崎町)にあった旧制・大成中学校(現在の大成高等学校)を卒業〔、秋田に帰り公務員をしていたが、明治44年(1911年)、京都に移住し、日活京都撮影所俳優部に入社した。「市川芝喜蔵」の名で牧野省三監督・尾上松之助主演のサイレント映画に多く出演した〔。 大正4年(1915年)、尾上松之助主演の映画『大前田英五郎』を演出し、映画監督となる〔。以降、日活京都一筋に職人監督としての道を歩む。昭和4年(1929年)、「辻吉朗」と改名した〔。 昭和17年(1942年)、第二次世界大戦の開戦による戦時統合で日活の製作部門が、大都映画、新興キネマと合併して大日本映画製作(のちの大映)を設立したことを機に、松竹下加茂撮影所に移籍した〔。昭和18年(1943年)、牧野省三の三男で、辻のチーフ助監督だったマキノ真三と共同監督で『海賊旗吹っ飛ぶ』を監督したが、同作が遺作となった〔発掘された映画たち2005 、東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年11月4日閲覧。〕。 昭和21年(1946年)12月9日〔、喉頭結核で死去した。満54歳没。昭和20年(1945年)死去説もあり〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「辻吉郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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