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近江屋事件(おうみやじけん)は、江戸時代末期(幕末)の慶応3年11月15日(1867年12月10日)に坂本龍馬と中岡慎太郎が京都河原町近江屋井口新助邸において暗殺された事件。江戸幕府京都見廻組によるものという説が有力である。 == 経緯 == 坂本龍馬はそれまで宿舎としていた薩摩藩の定宿であった寺田屋が江戸幕府に目をつけられ急襲(寺田屋事件)されたため、三条河原町近くの材木商鮓屋を京都での拠点にしていたが、慶応3年10月頃には近江屋(醤油屋)へ移った。このことについて薩摩の吉井幸輔は「四条ポント町位ニ居てハ、用心あしく」として土佐藩邸に入れないのであれば薩摩藩邸へ入るよう勧めた〔慶応3年10月18日・望月清平宛書簡〕が、薩摩藩邸に入る訳にはいかないとして龍馬は近江屋に留まった。 11月15日(12月10日)、夕刻に中岡が近江屋を訪れ、三条制札事件について話し合う。夜になり客が近江屋を訪れ、十津川郷士を名乗って龍馬に会いたいと願い出た。元力士の山田藤吉は客を龍馬に会わせようとするが後ろから斬られた(1日後に死亡)。大きな物音に対し、龍馬は「ほたえな!(土佐弁で「騒ぐな」の意)」と言い、刺客に自分たちの居場所を教えてしまう。刺客は音もなく階段を駆け上がり、ふすまを開けて部屋に侵入した。そして龍馬は額を斬られた(この他、浪士達が2人を斬る前に名刺を渡してから斬ったという説など諸説ある)。その後、龍馬は後頭部から背中、再度額を深く斬られたところで刺客のひとりが「もうよい、もうよい」と言い、全員立ち去った。龍馬は即死か、ほとんど即死。中岡はまだ生きており助けを求めるが、2日後に吐き気を催した後に死亡した。 凶行時、騒動に気付いた近江屋店長の井口新助が土佐藩邸へ知らせに駆け込んだ。下横目の嶋田庄作が近江屋の門口で刺客が出て来るのを抜刀して待ち構えていた所へ、龍馬の遣いで軍鶏を買いに出ていた鹿野峰吉が戻り、嶋田と共に部屋を確認したところ刺客は既に去った後で、陸援隊の詰所である白川屋敷へ峰吉が知らせに走った。土佐藩邸から河村盈進と同時に、曽和慎八郎が、続いて谷干城、毛利恭介、薩摩藩の吉井友実、陸援隊士の田中光顕、海援隊隊士の白峰駿馬らが現場に駆けつけた。 〔参考資料 大正5年『川田瑞穂氏聴取書 鹿野安兵衛(菊屋峰吉)、井口新之助(新助の子)談話』〕 なお、近江屋と土佐藩邸の位置関係は、河原町通りを隔てた真向かい(数メートル)であった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近江屋事件」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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