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近江 正俊(おうみ まさとし、1925年〔国立国会図書館のデータベースより参照。〕 - 1984年10月24日)は、日本のアナウンサー。 東京都出身〔と記述。〕。開成中学校を経て拓殖大学南洋語学科卒業(1946年)〔と記述。〕。 == 来歴・人物 == 1950年、日本放送協会(NHK)に入局〔と記述。〕、名古屋中央放送局で勤務の後、1952年3月にラジオ東京(KR→KRT。後の東京放送=TBS〔2001年10月にラジオ局部門がTBSラジオ&コミュニケーションズ、2009年4月にテレビ局部門がTBSテレビへそれぞれ分離し、放送持株会社化(東京放送ホールディングスへ社名変更)。TBSの略称はTBSテレビへ移行した。〕)へ経験者採用により移籍。 主にスポーツ実況や朗読番組を担当。ラジオ東京に移籍後、同時期にNHK大阪中央放送局からラジオ東京に移籍した小坂秀二と共に〔、同局初のスポーツ中継「巨人対毎日定期戦」(後楽園球場)を担当(小坂は1952年3月12日の担当、近江は13日の担当)、草創期のラジオ東京におけるスポーツ放送を支えた。 また、1959年4月10日には皇太子・美智子ご成婚パレード中継の実況を担当した〔。 1963年11月1日より報道局ニュース部、1965年12月に報道局解説室委員兼ニュース部へ配属の後〔、1967年11月15日のアナウンサー研修室設置に伴い同委員へ就任した(報道局解説室委員との兼任)。1970年7月よりラジオ本部アナウンサー研修室(1969年11月14日にアナウンサー研修室から組織変更)改めラジオ本部アナウンス室のみの所属となる〔。 ソフトな話術、的確な表現で定評の報道・スポーツアナウンサーとして、1968年から1975年は夕方の全国テレビニュース『JNNニュースコープ』メインキャスターを務めた他、アナウンス室付部長、ラジオ本部次長兼アナウンス室長も務める。 1976年3月、ラジオ本部のみの所属となりアナウンス職から離れ〔、同年9月に「多民族国家の中でアジア人として生きたい」との幼少期の夢を実践すべくTBSの勇退制度に応じて〔と記述。〕〔と記述。〕退社〔。 1977年7月よりインドネシアのスラバヤ・アイルランガ大学〔と記述。〕〔と記述。〕へ国際交流基金派遣日本語教師として赴任〔。 1980年3月、網膜剥離による眼底出血で〔と記述。〕左の視力を突然失い〔と記述。〕治療の為日本に帰国するが、手術も成功せず5月末に再びスラバヤへ〔と記述。〕。11月、日本に帰国。〔と記述。〕その後、白血病で療養生活を送る〔。 1984年10月24日、心不全で死去。満59歳没。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近江正俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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