|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 江 : [こう, え, ごう] 【名詞】 1. inlet 2. bay ・ 栄 : [さかえ, はえ] 【名詞】 1. glory 2. prosperity ・ 次 : [つぎ] 1. (n,adj-no) (1) next 2. following 3. subsequent 4. (2) stage 5. station
近江谷 栄次(おうみや えいじ、1874年1月20日〔デジタル版 日本人名大辞典+Plus 〕 - 1942年6月8日〔)は、日本の実業家、衆議院議員。号は井堂。秋田県出身。小牧近江(翻訳家・社会運動家)は子。 == 略歴 == 秋田県南秋田郡一日市村〔秋田魁新報2001年11月27日〕(現八郎潟町)の生れ〔広報あきたオンライン2001年11月9日号 〕。旧姓名は畠山留吉〔〔秋田県立博物館秋田の先覚記念室 〕 。16歳のとき、土崎港(現在の秋田市土崎港)の商人近江谷家の養子となる〔。最終学歴は、秋田中学校中退〔。1889年(明治22年)栄治(のちに栄次)の名を襲名〔すると、20代の青年にして地元経済の基盤作りに取り組み始める。 私財を投じての秋田港改修工事は、13年かかって1902年(明治35年)に終了〔。改修後の港は近江谷が招請した廣井勇〔にちなんで「廣井波止場」〔写真1の碑文〕と名づけられたが、「近江谷波止場」〔とも呼ばれた。 1896年(明治29年)、旧秋田銀行の設立に参加〔〔。 1901年(明治34年)には、秋田県で初の火力発電所(近江谷発電所)を現在の秋田市立土崎南小学校の位置に建設〔〔。燃料は石炭を用い、60キロワットの電力供給を開始した〔写真3の碑文〕。供給範囲は土崎地区内にとどまらず、通町、大町といった秋田市中心部にも及んだ〔。 また、1908年(明治41年)に操業開始した国鉄の工場(現在の秋田総合車両センター)の誘致では、自家所有地3万坪を無償提供した〔〔。 一方、政治家としては、1904年(明治37年)3月、第9回衆議院議員総選挙に秋田県郡部区から出馬して初当選し〔、以来、2期務めた〔。1910年(明治43年)、ブリュッセルで開催の第1回万国議員会議に出席〔。 1916年(大正5年)、土崎港町長となる〔〔。 その他、1917年(大正6年)に土崎幼稚園を創設している〔土崎幼稚園 〕。 1942年(昭和17年)、東京都で死去〔。享年68。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近江谷栄次」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|