|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 江 : [こう, え, ごう] 【名詞】 1. inlet 2. bay ・ 鉄 : [てつ] 【名詞】 1. iron ・ 鉄道 : [てつどう] 【名詞】 1. railroad ・ 形 : [けい, かたち, ぎょう] 1. (suf) shape 2. form 3. type ・ 電車 : [でんしゃ] 【名詞】 1. electric train ・ 車 : [くるま] 【名詞】 1. car 2. vehicle 3. wheel
近江鉄道モハ131形電車(おうみてつどうモハ131がたでんしゃ)は、かつて近江鉄道に在籍した、戦後間もなく西武鉄道より譲り受けた木造車を前身とする電車(制御電動車)である〔「近江鉄道電車沿革史」 pp.147 - 148〕。 本項では、モハ131形電車と同様に西武鉄道から譲渡された木造車を種車とする〔制御電動車モハ105形電車・モハ201形電車(初代)、および制御車クハ1201形電車(初代)について記述するとともに、上掲各形式の車体鋼体化以降の形式である〔「近江鉄道電車沿革史」 pp.149 - 152〕モハ131形電車・モハ133形電車・クハ1205形電車・クハ1207形電車・クハ1208形電車・クハ1212形電車・クハ1213形電車・クハ1214形電車・クハ1216形電車の各形式の動向についても詳述する。 == 導入に至る背景 == 近江鉄道は、日中戦争の激化に伴う戦時体制下に公布された陸上交通事業調整法の主旨に基づき〔「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 上」 pp.268 - 269〕、1944年(昭和19年)3月1日付〔『日本のローカル私鉄』 pp.147 - 148〕で八日市鉄道(近江八幡 - 御園間11.5km、現・近江鉄道八日市線)を戦時統合したが〔、従来近江鉄道が保有する路線が架線電圧1,500V規格による電化路線であったのに対し同路線は非電化路線であり〔、また既存の近江鉄道の路線と直接連絡していなかったことから車両運用上不都合が生じた〔。そのため近江鉄道においては八日市線の新八日市駅から分岐して近江鉄道本線の八日市駅に至る延長0.6kmの連絡線を建設するとともに〔、八日市線全線の電化工事を1945年(昭和20年)5月2日付認可〔で開始、電化工事は翌1946年(昭和21年)1月1日付〔で、連絡線は同年8月2日付〔でそれぞれ完成・開通した。 これらは当時御園駅付近に存在した大日本帝国陸軍所有の八日市飛行場への戦時輸送体制強化という名目で実施された工事であったが〔、前述の通り工事の完成は1945年(昭和20年)8月15日の太平洋戦争終戦の後にずれ込むこととなった〔〔。また工事の完成に伴って必然的に電車の増備が必要となったものの、時節柄車両の新規導入は非常に困難な状況にあり〔「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 p.279〕、さらに既存の車両についても戦中の酷使に起因する故障の頻発によって車両稼働率が低下、近江鉄道における車両事情は極めて逼迫した状況に陥った〔。 このような状況下、近江鉄道の親会社である西武鉄道は同社の救済名目で1946年(昭和21年)12月にモハ105形105を〔、翌1947年(昭和22年)6月にはモハ105形106の計2両の電車を貸与した〔。当時は西武鉄道においても戦中の酷使に起因する在籍する車両の故障発生率増加および稼働率低下に伴う車両不足に悩まされていた時期であり〔、同2両が1923年(大正12年)製の老朽木造車であったとはいえ子会社の救済に回さざるを得なかったことは、それだけ近江鉄道における車両事情が悪化していたことを示す端的な事例であった〔〔同2両の借り入れに先立って近江鉄道が提出した1946年(昭和21年)10月31日付譲受認可申請において「輸送量ノ増加ト故障車続出」が借り入れ理由として挙げられており、緊急性の高さを物語る。〕。 1948年(昭和23年)5月〔「西武鉄道 時代を築いた電車たち」 p.151〕には西武鉄道よりモハ201形201・202が貸与され〔、同年8月14日付認可〔「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 1」 p.70〕によって前述モハ105・106を正式に譲り受け、1949年(昭和24年)6月〔には前述モハ201・202を正式に譲り受けたほか、同年8月20日付認可〔でモハ131形131・132を新たに譲り受けた。ただし、このうちモハ105・106については老朽化に起因する主要機器の故障を頻発し現場から不評を買ったことから〔、1949年(昭和24年)11月1日付認可〔によって西武鉄道へ返還された。さらに上記電動車各形式と編成する制御車として、1949年(昭和24年)11月〔から1950年(昭和25年)4月〔にかけてクハ1201形1201 - 1204(クハ1201・1203は初代)の貸与を受け、同年6月5日付認可〔で正式に譲り受けた。これらの車両は正式譲渡後も形式称号および車両番号(以下「車番」)は変更されず〔「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 pp.279 - 280〕、モハ131形131・132、モハ201形(初代)201・202、およびクハ1201形(初代)1201 - 1204として、いずれも西武鉄道在籍当時の原形式・原番号のまま運用された〔。 上記各形式による運用実績から〔「近江鉄道電車沿革史」 p.149〕、従来の近江鉄道においては連結運転を行なう場合、電化以前の蒸気動力当時から運用される木造客車を電動車が牽引する形態であったものを〔、終端駅における機回しが不要となる電動車・制御車の組み合わせによる運行に全面的に改めることとなり〔、1955年(昭和30年)9月〔「私鉄車両めぐり(80) 西武鉄道 2」 pp.63 - 64〕から1957年(昭和32年)3月〔にかけて、西武鉄道よりクハ1251形1252・1254 - 1260およびクハ1201形1203(2代)の計8両を譲り受けた〔。これまでの西武鉄道からの譲渡車両はいずれも西武鉄道在籍当時の車番を踏襲し、車籍も西武鉄道からのものを継承して導入されたが〔、同8両については近江鉄道に在籍した木造客車の車籍を継承して改造名義で落成し〔「私鉄車両めぐり(83) 近江鉄道 下」 p.280〕、形式・車番もクハ1201形1205 - 1212(クハ1210は初代)と統合・改番された〔。 延べ18両が導入された西武鉄道より譲り受けた木造車各形式は、後年の車体載せ替えおよび車体新製による鋼体化改造に際して実施された複雑な改番および形式区分を経て〔、2004年(平成16年)まで在籍した〔「2004年度民鉄車両動向」 pp.90 - 113〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近江鉄道モハ131形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|