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近田春夫&ビブラストーン : ミニ英和和英辞書
近田春夫&ビブラストーン[ちょうおん]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [た]
 【名詞】 1. rice field 
: [はる]
  1. (n-adv,n-t) spring 
: [おっと]
 【名詞】 1. (hum) (my) husband 
: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)

近田春夫&ビブラストーン ( リダイレクト:ビブラストーン ) : ウィキペディア日本語版
ビブラストーン[おっと]

ビブラストーン(VIBRASTONE、1987年 結成 - 1996年 活動停止)は、かつて存在していた日本のヒップホップバンドである。結成当初は、CHIKADA HARUO & VIBRASTONE、あるいは近田春夫&ビブラストーン(ちかだはるお と-)と名乗っていた。
== 概要・略歴 ==
1985年(昭和60年)、ヒップホップレーベル「BPM」を設立し、「President BPM」名義で日本語によるヒップホップの可能性を追求してきた近田春夫が、1987年(昭和62年)、同レーベルでの活動を離れて結成したのが、この「ビブラストーン」である。近田による先鋭的な歌詞と、元JAGATARAOTOをはじめとする強者ミュージシャン達による高い音楽性が特徴だった。また、スタジオではスクラッチやサンプリングという手法もとりつつ、生楽器による演奏が主であった。
同バンドの最初の発表音源は、インクスティック六本木や渋谷クラブクアトロでのライヴを収録した『Vibra is Back』(1989年)であった。同年5月10日、小泉今日子のシングル『Fade Out』に近田が楽曲提供、メンバーが演奏に参加、同シングルはオリコンチャート最高位2位を記録した〔「Fade Out (小泉今日子の曲)」の項の記述を参照。〕。1990年(平成2年)、キーボードの渡辺貴浩が正式加入した〔渡辺貴浩公式サイト内の記事「Profile 」の記述を参照。〕。
1991年(平成3年)、ポニーキャニオンと契約、同年7月3日、アルバム『ENTROPY PRODUCTIONS』でメジャーデビューを果たす。1993年(平成5年)5月21日キューンレコードからリリースされた電気グルーヴの『FLASH PAPA MENTHOL』のレコーディングに、近田・Dr.Tommy・OTOを除いた全メンバーが参加、近田が編曲した楽曲『Bingo!』を演奏した〔「FLASH PAPA MENTHOL」の項の記述を参照。〕。
1994年(平成6年)9月21日のアルバム『NATIONAL』のリリース以降、オリジナルの音源を発表していない。同年、Dr.Tommy脱退。
その後、近田もマイクをとらずにモーグを弾くという、インストゥルメンタルのみの楽曲(新曲)を下北沢CLUB CUEで演奏したが、それが最後の演奏となった。1996年(平成8年)、活動停止した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「ビブラストーン」の詳細全文を読む




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