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近藤 健介(こんどう けんすけ、1993年8月9日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(内野手、捕手、外野手)。 ==経歴== ===プロ入り前=== 千葉県の軟式野球クラブの泉谷メッツで野球を始める。小学6年時に千葉ロッテマリーンズジュニアに選出され12球団ジュニアトーナメント準優勝を果たした。中学野球界の強豪、修徳学園中学に進学し、軟式野球部に入部。中学2年時、1番遊撃手として、全国大会に出場。また、捕手としてもプレーをした。中学3年のKボール全国大会では千葉マーリンズの四番打者兼主将兼捕手として4強入りに導き、強肩強打で注目された。 には、自身の力を試したいとしてスカウト無しで横浜高校に入学し、硬式野球部に入部した。同高校でコーチを務める小倉清一郎(入部1年目は部長)は、「私が勧誘したわけではなく、近藤の方から『横浜高校に入りたい』と売り込んできた。総合力で横浜高校歴代捕手でも3本の指に入る」と評価している〔「日ハム 近藤健介「1.8秒」の強肩 」 ゲンダイネット(2012年2月29日)、2012年3月2日閲覧。〕。同期には乙坂智らがいる。 入部早々、遊撃手のレギュラーとしてベンチ入りし、主将だった筒香嘉智らと共に腕を磨いて夏の神奈川県大会で打率.438を記録するが、準々決勝戦で横浜隼人高校〔その後、同校は優勝し、夏季甲子園(第91回全国大会)神奈川県代表校になった。〕に僅差で敗れベスト8で涙を呑んだ。秋からは肩の強さを買われ捕手に転向した。 2年夏()は決勝で東海大相模高校に敗れた後、2年秋から3年の春季甲子園(第83回選抜大会)まで主将を務め、選抜大会での初戦敗退後は、「チームを一新」する狙いから、監督の渡辺元智の判断で主将の座を乙坂に奪われるが、副主将のような存在としてチームを鼓舞し続けた。3年の神奈川県大会直前で右足首の靭帯を痛め打撃が絶不調に陥ったが、決勝の桐光学園高校戦で決勝打を打ち優勝。夏季甲子園(第93回全国大会)に自身としては初出場し下級生主体チームを牽引した。高校通算本塁打は35本。 甲子園終了後、第9回AAAアジア野球選手権大会日本代表に選出され、盗塁を阻止するなど強肩ぶりを発揮し優勝、オールスターチーム(ベストナイン)に選ばれた。 10月27日、プロ野球ドラフト会議で北海道日本ハムファイターズに4位指名され、後に契約金3000万円、年俸500万円(いずれも推定)の仮契約を行った〔「日本ハム、4位近藤と仮契約=プロ野球・ドラフト 」 時事ドットコム(2011年11月13日)、2012年2月10日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤健介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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