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近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、新潟県五泉市出身のアニメーター、アニメーション監督、キャラクターデザイナー。業界では、近藤喜文(こんどうきぶん)と呼ばれることがある。 == 概要 == 1970年代半ば以降の宮崎駿や高畑勲の作品を作画面で支えた。 高畑が『火垂るの墓』、宮崎が『となりのトトロ』と、長編映画を同時に制作した時期は2人の間で近藤の争奪戦が起こった。高畑は「他は何もいらないから近ちゃんだけ欲しい」、宮崎は「近ちゃんが入ってくれないなら僕も降板する」と言ったという逸話が残っている(結局、仲裁に入った鈴木敏夫の、宮崎は自分で絵が描けるからという助言で、近藤は『火垂るの墓』の制作にたずさわった)〔高畑は後年の回想の中で「近ちゃん(近藤喜文氏)を獲得することが私の最優先、いや絶対的な課題だった」と述べ、それ以外のスタッフについては積極的勧誘をしなかったと記している(「『火垂るの墓』から、はや二十四年」『アニメーション、折にふれて』岩波書店、2013年、pp.122 - 123。初出は『百瀬義行 スタジオジブリワークス』一迅社、2011年)〕。米をよそう際、手首に付着した米粒を舐め食べる動作、など高畑アニメが追求する実にリアルな描写の実現は、近藤の強く鋭い感受性あって初めて可能なものだった。その後、再び高畑の元で『おもひでぽろぽろ』のキャラクターデザインと作画監督を担当する。 スタジオジブリでは『耳をすませば』の監督を任される(それ以前から近藤が演出をするという宮崎との約束があったため、宮崎が企画を持ってきた)など、宮崎駿・高畑勲の後継者として期待されていたが、1997年の暮れに解離性大動脈瘤で倒れ、1998年1月21日に47歳で死去した。作画監督を務めたもののけ姫が最後の作品となった。なお、『耳をすませば』の作成中に宮崎駿と近藤の間では何度も衝突があり、ときには宮崎が演出の変更を求めたり脅すようなこともあったという。このことについて宮崎は「自分が終わりを渡してしまったようなもの」と語っている。葬儀の出棺の際に『耳をすませば』の主題歌である「カントリー・ロード」が流された。妻は色彩指定をしていた経歴を持ち、息子が一人いる。 ほかに、金曜ロードショーの新オープニングの作画・演出を担当した。好きな漫画家に高野文子、画家にはノーマン・ロックウェルなどを挙げている。 次回作では『天の瞳』のようなアニメーション作品を構想していたという(機関紙『国公労新聞』第943号のインタビュー)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤喜文」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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