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近藤 寿市郎(こんどう じゅいちろう、1870年5月15日(明治3年4月15日) - 1960年(昭和35年)4月14日)は、愛知県渥美郡高松村(現・田原市)出身の政治家。愛知県東三河地域を日本有数の農業生産地に変えた豊川用水の構想発案者として知られる。渥美郡議会議員、愛知県議会議員、衆議院議員、豊橋市第12代市長、東海興業(豊橋市)初代社長。 == 経歴 == 1870年(明治3年)、愛知県渥美郡高松村(現・田原市)で誕生。15歳の時に「これからの国民は法律をわきまえなければならない」と考えて東京に上る。しかし父の懇願により帰郷し、村役場の書記をしながら明治法律学校の校外生として法律を学んだ。若い頃は自由民権運動に傾倒し、地元選出の衆議院議員である村松愛蔵を尊敬していた。政治家としての道を歩み始めたのは1907年(明治40年)のことであった。1923年(大正12年)より愛知県議会議員を4期務めたのち、1932年(昭和7年)に第18回衆議院議員総選挙で当選し、立憲政友会の所属議員として1期、1936年(昭和11年)より豊橋市議会議員を1期、1941年(昭和16年)から1945年まで豊橋市長を務めた。戦時中に豊橋市長を務めていたゆえ、同時に大政翼賛会豊橋市支部長の職にあった。このためGHQによって公職追放処分を受けた。その時既に老齢であったため、それを機に政治の世界からは引退した。政界引退後は、終戦後の食糧増産のため機械での開拓開墾を進めるべく、1946年(昭和21年)6月に豊橋政財界人らと共に「豊橋市の総合建設会社」として東海興業(豊橋市)を創立、初代社長に就任して世を去る前までその職務に当たった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤寿市郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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