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近藤 康用(こんどう やすもち、永正16年(1517年) - 天正16年3月12日(1588年4月7日))は、戦国時代の武将。近藤忠用の子。通称、勘助。平右衛門。はじめは信用。全功と号した。室は黒田久綱の娘、また鈴木六郎三郎の娘を娶る。弟妹に小林重次室、竹田法印定宜室、学禅(富賀寺住職)。子に秀用、用豊、用成、用忠、用政、中野三信(井伊掃部頭家臣)の妻、用勝(徳川頼宣家臣)、中川忠重の妻。 == 経歴 == 父の忠用と共に今川氏に従っていた為、知行221貫文を安堵されていた。今川氏の領国支配力に不安が見え始めた桶狭間の戦い以降も、同僚の鈴木重勝に同調、今川氏の傘下でいることを継続した。 やがて、徳川家康が遠江国を窺うようになると、その懐柔工作によって今川氏を離反。永禄11年(1568年)末からの家康による遠州攻め入りでは、子の秀用を従軍させていた。老齢である上、長年の戦働きによる負傷で歩行困難となっていた理由も重なっていたのである。 天正16年(1588年)、閉居先の井伊谷で死去。72歳と伝わる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤康用」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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