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近藤 用可(こんどう もちあり、天正10年(1582年) - 元和8年2月10日(1622年3月21日))は、江戸時代初期の旗本。近藤秀用の次男。気賀近藤家の祖。通称、五左衛門。縫殿助。室は小栗重勝の娘。子に近藤用行(大谷近藤家祖)、近藤用治、都筑為次室、由良忠繁室、嶋田左平太(松平越後守家臣)の妻、野武右衛門。兄弟に近藤季用(宗家)、近藤用宗、近藤用義、米倉平大夫室、小笠原権之丞室(のちに九鬼長兵衛室)、由良貞繁室。 == 経歴 == 当初は結城秀康、松平忠直父子に仕えたが、元和元年大坂の役の時に父の要請で幕臣となり、父と共に戦い、天王寺口の戦いで首級を挙げる。元和2年徳川秀忠に仕える。 元和5年(1619年)、父の秀用より5300石を分知され旗本となり、気賀(現・浜松市北区気賀)に陣屋を構えると、姫街道にある気賀関所の関守を兼ねた。 元和7年(1621年)松平忠直が病により参勤がままならず、少し回復したので出立したが途中で使者を立てて、越前へ引き返している。これに対して将軍秀忠の命で越前に赴き忠直の病状を聞きに行ったが、その帰路の相模国大磯で落馬により急死した。 遺領は庶出の長子近藤用行(大谷近藤家祖)と、嫡出の次子・近藤用治に分配された。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤用可」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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