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近藤 祐介(こんどう ゆうすけ、1984年12月5日 - )は東京都江戸川区出身のプロサッカー選手。Jリーグ・AC長野パルセイロ所属。ポジションはフォワード(FW)及びミッドフィールダー(MF)。 == 来歴 == 小学校1年生の時にサッカーを始める。出身の東京都江戸川区に隣接する千葉県市川市内のクラブに所属し、2000年に千葉県のサッカー強豪高である習志野高校へと進学。本田裕一郎監督の下、同校で1年次からレギュラーとしてプレーしていたが、本田の転任に併せて〔コンサドーレ札幌 近藤祐介選手 財界さっぽろ (2010年7月)〕 2年次から流経大柏高校へと転校。この年にFWへとコンバートされ〔 Jリーグ選手協会 (2006年9月8日)〕、力強いシュートを武器に活躍。3年次には千葉県選抜の背番号10を背負い、国体優勝を果たした。 2003年に高校を卒業。地元のJリーグクラブである柏レイソルなどから勧誘を受けていたが、先んじてオファーをしていたJ1・FC東京へと加入〔 FC東京 2002.10.30〕。同年開催のFIFAワールドユース選手権に臨むU-20日本代表の有力候補の一人であったが〔ワールドユースメンバー発表 大熊監督会見全文 (1/3) スポーツナビ (2003年11月17日)〕、大会直前の負傷により選外となった。Jサテライトリーグの活躍から強烈なシュートと突破力を認められていたものの、好不調の波があり、1トップの布陣を採用していたこともあって出場機会は限られ、2005年にはレギュラーのFWルーカスに代わって5試合に先発出場したが〔選手出場記録 Jリーグ (2005年12月3日)〕、1得点のみと結果を残せなかった。 2006年、J2・ヴィッセル神戸へ期限付き移籍〔 FC東京 (2005年12月21日)〕〔 ヴィッセル神戸 (2005年12月21日)〕。持ち前の強引な攻撃の仕掛けに加えて前線からの守備でも貢献し、主力の一角として活躍。同年末、神戸のJ1昇格が掛かる大一番となったJ1・J2入れ替え戦の第2戦では、チームをJ1昇格へ導く値千金のアウェーゴールを挙げた〔公式記録 2006J1・J2入れ替え戦 第2戦 Jリーグ (2006年12月9日)〕。移籍期間を延長し〔 FC東京 (2007年1月12日)〕〔 ヴィッセル神戸 (2007年1月12日)〕、2007年も神戸でプレー。同年4月にはイビチャ・オシム監督率いる日本代表候補に選出され練習合宿に参加した〔日本代表候補トレーニングキャンプ メンバー (4/16~18) 日本サッカー協会 2007.04.15〕〔 ヴィッセル神戸 (2007年4月15日)〕。 2008年よりFC東京へ復帰〔 ヴィッセル神戸 (2007年12月26日)〕〔 FC東京 (2007年12月26日)〕。しかし、同年3月に右足指骨折〔 FC東京 (2008年3月14日)〕、7月には左膝半月板損傷のため手術する〔 FC東京 (2008年7月8日)〕 など負傷が重なり別メニュー調整が続いた。シーズン終盤に復帰。2009年開幕戦で豪快なシュートを決め復調をアピールしたが〔【J1:第1節 F東京 vs 新潟】試合終了後の各選手コメント J's GOAL (2009年3月7日)〕、平山相太らとのポジション争いに敗れ〔札幌J1昇格消滅、東京FW近藤獲得へ 日刊スポーツ (2009年10月19日)〕、同シーズンをもって契約満了となり退団。 2010年よりJ2・コンサドーレ札幌に移籍〔 FC東京 (2009年12月25日)〕〔近藤 祐介 選手 コンサドーレ札幌に完全移籍 コンサドーレ札幌 (2009年12月25日)〕。2011年よりMF(左サイドハーフ)にポジションを変え、攻撃の力強さを発揮〔 北海道新聞 (2011年4月29日)〕。リーグ戦全38試合に出場しクラブのJ1昇格に大きく貢献した。膝と腰の痛みを抱えながらも奮戦を続けていたが〔 スポーツ報知 (2012年7月7日)〕、人件費削減の煽りを受け〔“厳冬”札幌 人件費削減で大量流出…FW近藤は栃木へ スポーツニッポン 2012.12.08〕2012年限りで退団。 2013年、J2・栃木SCに完全移籍〔近藤祐介 選手 栃木SCへ完全移籍のお知らせ コンサドーレ札幌 (2012年12月14日)〕〔近藤祐介選手 完全移籍加入のお知らせ 栃木SC 2012.12.14〕。シーズン序盤は2トップの一角として献身的な走りで相手守備陣のスタミナを削ぐ役割を担っていたが〔今季はサプライズの可能性も 白熱する昇格プレーオフ争いでJ1未経験・岡山と栃木は生き残れるか? フットボールチャンネル (2013年5月5日)〕、FWサビアの先発定着に伴う布陣再編によって左SHへ配され、激しい上下動で攻守に〔近藤祐介、ウイング起用でプレッシャーから解放 blogola (2013年10月23日)〕 大きく貢献した。2014年は不動の左SHとして〔 栃木SC、近藤ら3選手契約満了 下野新聞 (2014年11月27日)〕「変な癖が無いので」素直に撃てるという左足のシュートで 相手ゴールを脅かし、チーム最多にして最長出場。アシスト、シュート、スルーパス、タックル数でチーム最多を記録した。同年限りで栃木との契約を満了。 2015年、J2・ギラヴァンツ北九州へ完全移籍〔近藤祐介選手 ギラヴァンツ北九州へ完全移籍のお知らせ 栃木SC (2014年12月28日)〕〔近藤祐介選手 栃木SCより完全移籍加入のお知らせ ギラヴァンツ北九州 (2014年12月28日)〕。7月にJ3・AC長野パルセイロに完全移籍〔近藤 祐介 選手 AC長野パルセイロへ移籍のお知らせ - 2015年7月1日 ギラヴァンツ北九州公式サイト〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤祐介」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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