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近藤 義之(こんどう よしゆき、1952年 - )は、神奈川県川崎市出身の元プロ野球選手(投手、野手)。左投げ左打ち。 == 来歴 == 川崎市立中原中学校を卒業後、夏に行われた近鉄バファローズのテストに合格し、入団した。この年、近鉄はスカウト制度を廃止し、仙台、東京、名古屋、中国、九州に情報提供者を置き、そこからの情報を元に新人選手を獲得する試みをした。更に当時の球団社長だった芥田武夫は「どうしてもプロ野球でやりたいという強い意志と素質のある選手」に狙いをつけて日本球界で初の三軍構想を練った〔三軍にも歴史がある ああだこうだと好き放題書くブログ。2015年1月16日記事。〕。8月25日に藤井寺球場等で新人公募テストが行われ、98人の受験者から近藤、釜野照義、東新昇、原野一博の4人が最終合格し、入団に漕ぎ着けた〔。 しかし現実は厳しく、近鉄在籍3年間で一度も一軍に上がる事は出来なかった。加えて精神的に弱い所があり、大阪府立天王寺高等学校定時制に入学して、野球と学業の両立を目指すも、結局高校も中退してしまった。11月26日に南海ホークスにトレードされて野手転向も図るが、南海でも在籍3年間で一軍出場は果たせず、オフに引退した〔南海ホークス背番号推移1971-88 〕。引退後は、実家に戻り石油販売会社員として働いていたが、現在の消息は不明である。 選手としては全く実績を残せなかったが、特筆すべき点は2点ある。一つは15歳でシーズン1年目を迎えた事である。日本プロ野球界では最年少記録であり、近藤の他にはに名古屋軍(現・中日ドラゴンズ)にテスト入団した西沢道夫と2004年のドラフト会議で阪神タイガースに8巡目指名された辻本賢人しかいない記録である〔15歳の辻本賢人、「虎風荘」へ Asahi.com、2004年11月18日記事。〕。もう一つは、のドラフト制導入後において数少ない、最終学歴が中卒の選手と言う事である〔高校中退の選手には、辻本やドラフト外入団した新浦壽夫(巨人など),松永浩美(阪急など)。また大リーグから日本プロ野球に入ったマック鈴木(オリックスなど)等がいる。また先述の西沢は、旧制小学校(品川区立第二日野高等小学校)卒業後にプロ入りしたが、プロ在籍中に旧制鹿児島総合中、日本大学に在籍した。〕。近藤の他には上森合直幸(〜にロッテの投手として在籍)と稲垣秀次(〜に巨人に野手として在籍)の2人がいるのみである。尚、この3人の内、先述の通り近藤が最も若くしてプロ入りした。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近藤義之」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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