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嘉喜門院(かきもんいん、生没年不詳)は、南北朝時代の女院・歌人。南朝後村上天皇の女御にして、長慶天皇の生母と推定されるが、加えて後亀山天皇の生母でもあるか。正平23年(1368年)の後村上天皇崩御の後、女院号宣下を受け、間もなく落飾した〔『南朝編年記略』によれば、興国7年(1346年)2月従三位に叙されて女御となり、正平21年(1366年)1月皇后に転上。天皇崩御後の同25年(1370年)3月皇太后となり、文中2年(1373年)11月1日院号宣下を受け、同4年(1375年)3月落飾したという。ただし、『七巻冊子』は院号宣下を正平24年(1369年)12月11日とする。〕。近世の南朝系図によって、関白近衛経忠の女で、名は勝子(かつこ/しょうし)とされることが多いが、それを裏付ける史料はない。ただ、関白二条師基の猶子となったことはほぼ確実である。琴の名手と伝えられる〔『新葉集』雑下・1290詞書に「嘉喜門院御かざりおろさせ給て後は御琴なども打捨られて」とある。一般に琵琶の名手とするのは、『嘉喜門院集』詞書の誤読による。〕。三位局とも。 == 歌人として == 嘉喜門院の作は『嘉喜門院集』・『新葉和歌集』に見ることができる。歌風はオーソドックスな二条派で、南朝の衰運を反映し、哀愁を帯びたものが多い。嘉喜門院は様々な人物と贈答歌を交わしており、『嘉喜門院集』からは、本人17首および長慶天皇4首と新宣陽門院1首の計22首が『新葉和歌集』に採録されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「嘉喜門院」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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