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近衛師団(このえしだん、旧字体:近衞師團)は、大日本帝国陸軍の師団の一つ。一般師団とは異なり、最精鋭かつ最古参の部隊(軍隊)として天皇と皇居を警衛する「禁闕守護」(きんけつしゅご)の責を果たし、また儀仗部隊として「鳳輦供奉」(ほうれんぐぶ)の任にもあたった。 帝国陸軍における軍隊符号はGD(一般師団はD)。太平洋戦争(大東亜戦争)中後期には編制の改編が行われ、最終的には近衛第1師団 (1GD)・近衛第2師団 (2GD)・近衛第3師団 (3GD) の3個近衛師団が編成された。 == 特徴 == 将来の天皇(大元帥)となる皇太子(東宮)は近衛歩兵第1連隊附となるのが通例であり、嘉仁親王(後の大正天皇)・裕仁親王(後の昭和天皇)は近歩1附であった。 近衛師団は禁闕守護の任から衛戍地は東京であるものの、他の一般師団と異なり、連隊区といった特定地域からの徴兵によるのではなく全国から選抜された兵によって充足されていた。近衛兵になることは大変な名誉とされた〔一族や郷土の誇りとして、縁談が多く舞い込み地元の名士から一席設けられることも多かった〕。 軍服も一般師団とは区別され、 * 一般の将校准士官正衣の正帽(旧称:第一種帽)のクラウン部が濃紺(黒色)絨、将官を除く一般将校准士官下士卒の明治38年制以前の第二種帽の鉢巻部・一般騎兵下士官兵の胸飾紐(肋骨服)が黄色であるのに対し、「近衛」の称呼を冠する近衛師団に属する軍隊に属する者ではそれらの部分が緋色。 * 近衛師団の各近衛兵の中でも、特に近衛騎兵は観兵式など式典における儀仗部隊としての色彩が強かったため、一般騎兵下士官兵用のドルマン式ジャケット(肋骨服)が廃止された後も、近衛騎兵下士官兵には近衛騎兵供奉服として存続。 * 将校准士官下士官兵共通として、明治45年制以降の軍帽および昭和13年制の略帽の帽章の五芒星(五光星)には、周囲を囲む桜葉を付す。 等の差異が存在した。 また一般師団の下士官兵には基本的に第二装(程度の良い中古品、主に外出や儀式用)・第三装(着古したり傷を補修した中古品、主に普段の勤務や訓練用)の軍装が支給されたのに対し、近衛師団では「ご守衛勤務」で使うための第一装(新品または新品同様、主に出征時や戦地の勤務用)もあわせて支給された。 File:Migita Toshihide - The Imperial Guard Defeats the Enemy in Hard Fighting at Jilong on the Island of Taiwan - Google Art Project.jpg|日清戦争(乙未戦争)における近衛歩兵連隊の将兵および、同連隊の軍旗(旭日旗) ファイル:Battle of Shaho.jpg|緋色の第二種帽を着用した近衛後備混成旅団の将兵 ファイル:Prince Asaka Yasuhiko 01.jpg|近衛歩兵第2連隊附当時の朝香宮鳩彦王 ファイル:Kashiwa Oyama 01.jpg|近衛歩兵第4連隊附当時の大山柏 ファイル:HIH Prince Kan'in Haruhito.jpg|近衛騎兵連隊附時代の閑院宮春仁王(将校) ファイル:Prince Kitashirakawa Nagahisa 01.jpg|近衛野砲兵連隊中隊長時代の北白川宮永久王(将校) ファイル:TatsuguchiArmy.jpg|近衛歩兵第1連隊附時代の辰口信夫(兵) ファイル:Mori Takeshi.jpg|近衛第1師団長時代の森赳(将校) 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近衛師団」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Imperial Guard (Japan) 」があります。 スポンサード リンク
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