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近賀 ゆかり(きんが ゆかり、1984年5月2日 - )は神奈川県横浜市戸塚区〔出身の女子サッカー選手。湘南学院高校、 日本体育大学体育学部体育学科卒。INAC神戸レオネッサ所属。ポジションはミッドフィールダーあるいはディフェンダー。第15回L・リーグ(2003年)新人賞。北京オリンピック、ロンドンオリンピック日本代表。2007年、2011年、2015年のFIFA女子ワールドカップ日本代表。 == 略歴 == 小学3年生の時に、4歳年上の兄の影響で東汲沢サッカークラブでサッカーを始める。男子に混じって区の選抜チームに選ばれ、中学校入学時に出身校とは別の小学校の教員からの紹介で横須賀シーガルズFCに入団〔カブ蔵が行く 頑張れッ!近賀ゆかり選手 北京五輪女子サッカー日本代表! 戸塚東口商店会 2013.6.16 21:26 (UTC) 閲覧〕。当時からベレーザ入団まで、ポジションは一貫してFWであった。同クラブで全国大会優勝2回、3位1回に貢献する。卒業後は、チームメイトであった矢野喬子と共に湘南学院高等学校女子サッカー部でプレーし、高校選手権準優勝2回を果たす。15歳でU-18女子代表に選出されるとその後各世代別代表で主力として活躍し、高校3年時にはAFC U-19女子選手権で優勝、FIFA U-19女子世界選手権に出場(ベスト8)。同年12月に初めて日本女子代表候補に選ばれ、トレーニングキャンプに参加した。 日本体育大学体育学部体育学科に進学した2003年、日テレ・ベレーザに入団。第15回L・リーグ開幕戦で途中交代デビュー、新人賞を獲得した。 翌2004年にはアテネ五輪のバックアップメンバーにMFとして登録された。2005年国際親善試合オーストラリア戦(3月29日・オーストラリア・ミランダ)で代表初出場。また、大学1、3年時には、ユニバーシアード代表として銀メダル、銅メダル獲得に貢献した。 第5回FIFA女子ワールドカップにDFとして出場、アルゼンチン戦でアディショナルタイムに荒川の決勝点に結びつけるシュートを打ち、勝利に貢献する。翌2008年北京オリンピックではMFあるいはDFとして全試合フル出場し、積極的にサイドから仕掛けて得点機を演出。第3戦の対ノルウェー戦で先制点を挙げ、代表初得点を記録した(1得点1アシスト)。 2011年1月、8年在籍したベレーザから澤穂希、大野忍、南山千明とともにINAC神戸レオネッサに移籍〔選手移籍のお知らせ ベレーザ公式サイト〕。 2011年7月、第6回FIFA女子ワールドカップでは右サイドバックのポジションで全試合フル出場し、1アシストを記録。翌2012年ロンドンオリンピック でも全試合フル出場、銀メダルを獲得した。 2012年12月22日、第34回皇后杯準決勝浦和レッズレディース戦にて、右膝を負傷して前半25分に退場。右膝前十字靭帯断裂及び半月板損傷の重症を負い、全治6ヶ月と診断された〔〕。2013年1月15日、靭帯再建手術を受け、8月4日のリーグカップ戦で途中交代出場して公式戦復帰を果たした。 2014年、アーセナルLFCへ移籍〔近賀ゆかり選手 海外移籍のお知らせ INAC神戸レオネッサ公式サイト〕。主にボランチでプレーした〔【なでしこ】近賀ゆかり「私、アーセナルでは1年生です!」 Suportiva 2014年12月30日付 2015年1月10日閲覧〕。 2015年、古巣のINAC神戸レオネッサへ復帰した〔近賀ゆかり選手・大野忍選手、2015シーズンプロ契約選手加入のお知らせ INAC神戸レオネッサ公式サイト 2015年1月8日付 2015年1月10日閲覧〕。 2016年、リオデジャネイロオリンピックのサッカー女子アジア最終予選の日本代表(なでしこジャパン)メンバーに選出されたが、チームは予選4位となり五輪出場権を逃した〔なでしこ、宮間や大儀見ら20人選出 五輪最終予選 日本経済新聞、2016年3月3日閲覧。〕〔なでしこ、ベトナムに快勝も五輪出場ならず アジア最終予選 日本経済新聞、2016年3月8日閲覧。〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近賀ゆかり」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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