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近鉄30000系電車(きんてつ30000けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道の特急形車両である。建造費は1次車7編成(28両)で27億円〔。 解説の便宜上、本項では大阪上本町・大阪難波向きの先頭車の車両番号+F(Formation=編成の略)を編成名として記述する(例:モ30201以下4両編成=30201F)。そのほかに、両先頭車をMc車、中間2階建車をT車として記述し、大阪上本町に向かって右側を「山側」・左側を「海側」と記述する〔近鉄大阪線を基準として見た場合、参宮急行電鉄以来の呼称として、上本町に向かって右側を山側、左側を海側と呼ぶ。『近畿日本鉄道 参宮特急史』エリエイ出版部・プレスアイゼンバーン、105頁〕。 == 概要 == 1978年(昭和53年)に10100系「新ビスタカー」の老朽化・廃車に伴い、後継車両として登場した。 日本では、新幹線100系電車登場まで唯一、鉄道車両で2階建て車両を組込んで運行していた近鉄特急「ビスタカー」の3代目にあたる〔10000系初代ビスタカーが登場したのが1958年、以来、1985年に新幹線100系の2階建て車両が登場するまで、国内唯一のダブルデッカー車両を運営する鉄道会社だった(バスでは1960年が国内2階建て車両の創始年)。『鉄道ファン』(第293号)1985年9月号、19 - 25頁(バスの記述も含む)〕。登場時は10100系「新ビスタカー」と区別するため「ニュービスタカー」と呼ばれていたが〔『近鉄時刻表』1979年の表紙に30000系の写真と「新ビスタカー」の文字があり、「この時刻表の見方」のページにはvマークの意味を「新ビスターカー」と記し、4頁では「NEW VISTA CAR」と記され、新とNEWが混在している様がみてとれる。また、『鉄道ピクトリアル』(第398号)1981年12月、38頁の近鉄関係者の解説において「ニュービスタカー」の言葉を使用している。そして、『信頼のネットワーク 楽しい仲間たち きんてつの電車』(1993年)近畿日本鉄道技術室車両部編纂、15頁の30000系の解説において「ビスタ・カーⅢ世」と記述している。竣功時と後年では同じ現業機関内においても呼び方が変化していることが判る。〕、「ニュー (New) 」と「新」では意味が同じでこの区別方法はおかしいため、のちに「ビスタカーIII世」と通称されるようになるが、後述する更新工事で「ビスタEX(ビスタ・エックス)」に改称された。 伊勢志摩観光特急用としてデビューしたが、名阪ノンストップ特急や、車庫のある大和西大寺からの送り込みも兼ねて阪奈、京奈特急などでも使用され、デビュー間もない頃から南大阪線系統や湯の山線を除く特急運転区間のほぼ全線で運用された〔『近鉄パンフレット「近鉄特急ビスタカー」』1979年7月30日発行〕。 1988年に21000系「アーバンライナー」が登場するまでの間、近鉄を代表する車両であり、近鉄特急のCMでは12200系2両と併結した6両編成での映像が多く使われた。そのほかに、当時の国鉄監修時刻表の広告をはじめ〔出典を挙げればきりがないが、あえて一例を示せば『国鉄監修時刻表』1980年10月号、グラビアページに30000系の写真が掲載されている。また、隔月発行の『伊勢志摩』(現・伊勢人)伊勢志摩出版舎(現・伊勢文化舎 、第11号背表紙には30000系のイラストが掲載されている。〕、近鉄各駅のパンフレット置場等に当該系列のイラストやビスタカーのV字マークが使われた。 1979年に鉄道友の会ブルーリボン賞を受賞している〔『車両発達史シリーズ2 近畿日本鉄道 特急車』関西鉄道研究会、174 - 175頁〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近鉄30000系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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