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近鉄6800系電車(きんてつ6800けいでんしゃ)は、近畿日本鉄道の電車の一系列。 1957年(昭和32年)に登場した、近鉄南大阪線区では8年ぶりとなる新形式車両、同線区で初の高性能通勤車、また、日本で初めての高加減速車両でもある〔加速度3.3km/h/s超、減速度4.0km/h.s超を基準とした場合。〕。 近鉄では初めて、1両片側あたり両開き4扉車体を採用し、その後の近鉄通勤車の基本レイアウトやデザインに影響を与えた。 同年9月12日に公式試運転を実施し、同年10月18日より運用を開始した。 == 概要 == 1954年に改造試作車のモ1450形で導入され、1955年の奈良線用800系で量産化されていた高性能通勤車の南大阪線版で、同線の各駅停車用に開発された。 「ラビットカー」(''Rabbit Car'')というニックネームが付けられている。各駅停車用ながら、旧型車で運行される急行や準急のダイヤの間を高加速で縫って走る姿がうさぎを連想させるために付いた名であるという。 モ6800形は2両1編成。大阪阿部野橋寄りからモ6800偶数車(Mc)-モ6800奇数車 (Mc) と編成を組む。MMユニット・オール電動車方式により起動加速度4.0km/h/s・減速度4.5km/h/s という高加速・高減速を可能とした(このため当時は6800系同士あるいは6900系としか連結できなかったが、減速度は1969年(昭和44年)に4.0km/h/sに下げられ、これにより6900系以外の他のカルダン駆動車とも連結可能となった)。 同時に製造されたモ6850形は増結用の単車のため、1M方式が採用されており、パンタグラフが6851 - 6854は連結面寄りに、6855 - 6858は運転台寄りに取り付けられている。また、当初、6851・53は吉野向き、52・54・55 - 58は大阪阿部野橋向きであったが、52・54はのちに吉野向きになった。 この車両で採用された20m級両開き4扉(1300mm幅、両引戸)・2個1組の大きなサッシュレス下降窓の車体は、それ以前の片開き3扉車や、同年に大阪線向けに20m級両開き3扉仕様の車体で投入された1460系電車と比較した場合、収容力や客扱い能力において優位であった。そのため、後に大阪線、名古屋線、奈良線などの他線区の車両にも適用され、レイアウト・スタイリングとも近鉄通勤電車に長く用いられる基本デザインとなっている。 1次車では前照灯の間隔が980mmで、以降の電車の1300mmより狭くなっており、印象が異なる。これは計画途中までは前照灯1灯(1460系同様の前面)とする予定を変更した結果である。化粧板の色は関西私鉄標準の薄茶色であり、無塗製材(メラミン化粧板)を使用し、保守の省力化を図った。吊革は4列として、中央の2列はバネによるハネ上げ式を採用した。 妻面の貫通路はモ6800形は奇数車・偶数車とも広幅であり、増結用のモ6850形は運転台付車両と連結する関係で通常幅であった。 落成当初はオレンジバーミリオンに白帯という軽快な塗色に、1 - 3次車は白色エナメルの塗装で、4次車以降ではステンレス製のうさぎのマーク〔岡本太郎がデザイン。岡本は1959年(昭和34年)には近鉄バファロー(のちバファローズ)の球団マークもデザインした。〕が側面に取り付けられていた。1968年(昭和43年)より、後述の改造工事と相前後して順次マルーンレッド1色となった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「近鉄6800系電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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