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四日市鉄道デ50形電車(よっかいちてつどうデ50がたでんしゃ)は、現在の近鉄湯の山線を開業させた四日市鉄道が1928年に導入した、特殊狭軌(軽便鉄道)用荷物合造の制御電動車。その後の経緯により、最後は近鉄モニ210形電車となった。 本項では同時に製造され、ほぼ同様の経緯を辿った付随車四日市鉄道60形電車(よっかいちてつどう60がたでんしゃ、最終形式は近鉄モ240形電車)についても併せて解説する。 ==経歴== ===デ50形=== 1928年に田中車輛(現、近畿車輛)でデ51 - デ54の4両が製造された。前面は3枚の均等な幅の窓で構成される非貫通形で両運転台、側面の窓配置は 1D1D8D1(最初の D が荷物室用扉)、前面・側面とも一段下降窓である。窓の上下にウィンドウ・シル/ヘッダーで補強がされているが、シルは上辺に淵の付いた段付きシルで、ヘッダーともどもリベット止めである。側面の扉及び戸袋の部分は裾の高さを若干下げているが、これは他の近鉄特殊狭軌線で使用された車両にないものである。屋上の通風器は、いわゆるおわん形と呼ばれるものである。 主電動機は当初各車とも22.5kWのものを2個装備していた。また、主制御器はゼネラル・エレクトリック製の直接制御式GE-120形を使用しており、これは廃車時まで変わらなかった。 形式称号は1931年に四日市鉄道が三重鉄道(現在の内部・八王子線を開業させた事業者)に合併された際にデハニ50形に変更されたが、番号は 51 - 54 のままであった。1944年の三重交通発足時に同社三重線(湯の山線と内部・八王子線の総称)のモニ211形モニ211 - モニ214となった。1964年の三重交通の鉄道部門分離による三重電気鉄道への異動を経て、翌1965年の近畿日本鉄道(近鉄)への合併によりモニ210形(番号は変更なし)となった。 製造当初からの改造点として、集電装置を両端に装備したトロリーポールから荷物室側に装備したパンタグラフへの変更、前照灯の前面中央窓下(いわゆる「おヘソライト」)から前面中央屋根上への移動、尾灯の1灯から2灯への増設と丸形引っ掛け式(いわゆる「ガイコツテール」)から丸形外はめ式への変更、車内灯の白熱灯から蛍光灯への変更、ブレーキの直通ブレーキから自動空気ブレーキへの変更、1978年に実施した連結器のピン・リンク式連結器から自動連結器への変更がある。また、主電動機も1951年に2個から211・212が30kWのもの、213・214が28kWのものを各車4個に増強されたが、後に30kWのものに統一されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「四日市鉄道デ50形電車」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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