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===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 逆 : [ぎゃく] 1. (adj-na,n) reverse 2. opposite ・ ー : [ちょうおん] (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
逆コース(ぎゃくコース、)とは、戦後日本における、「日本の民主化・非軍事化」に逆行するとされた政治・経済・社会の動きの呼称である〔この名前は読売新聞が1951年11月2日から連載した特集記事に由来する。〕。 == 解説 == 第二次世界大戦で敗北した日本は、ポツダム宣言と降伏文書に基づき連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)の占領下に入った。当初、GHQは「日本の民主化・非軍事化」を進めていたが、1947年に日本共産党主導の二・一ゼネストに対し、GHQが中止命令を出したのをきっかけに、日本を共産主義の防波堤にしたいアメリカ政府の思惑でこの対日占領政策は転換された。GHQのポツダム命令(「公職追放令」「団体等規正令」「占領目的阻害行為処罰令」など)は、前身を含めて占領初期には非軍事化・民主化政策を推進したが、占領後期には社会主義運動を取締まるようになった。 この意向を受けた第3次吉田内閣は中央集権的な政策を採った。1949年の中華人民共和国の誕生や、翌1950年の朝鮮戦争勃発以後に行われた公職追放指定者の処分解除とその逆のレッドパージにより、保守勢力の勢いが増した。 総司令官マッカーサー、民政局局長ホイットニー、局長代理ケーディスは転換に反対したが、国務省が転換を迫ったという〔古関彰一による「マスコミ九条の会」市民セミナーの「対米従属の起源をたずねる」より。桂敬一の報告 〕。この転換は、1948年に設立されたアメリカ対日協議会の圧力による。 なお、1948年にはヨーロッパでも反共政策がとられている。ナチス関係者がいた国際決済銀行の廃止が立ち消えとなったり、反共政策としてのマーシャルプランが実施されたりしている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「逆コース」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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