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速水堅曹[はやみ けんそう] 速水 堅曹(はやみ けんそう、天保10年6月13日(1839年7月23日)- 大正2年(1913年)1月17日)は、日本の製糸技術者。日本で最初の器械製糸 所である前橋藩営前橋製糸所を開設し、その後官営富岡製糸場の所長を2度務めた。日本初の生糸直輸出専門商社である横浜同伸会社の取締役社長を歴任した農商務省官僚。 == 人物 ==
*1839年(天保10年)川越藩士の子として川越に生まれる。前橋城が完成し前橋藩が立藩となり、1867年(慶應3年)藩主の松平直克が前橋に移封されると深沢雄象らとともに前橋に移り、前橋藩士となった。1870年(明治3年)、日本で最初の器械製糸所である藩営前橋製糸所を前橋に開設。スイス人技師C.ミューラーから直接、器械製糸技術を学び、日本最高の製糸技術者の地位を築いた。 *早くから製糸技術の指導を始めて、群馬県内のみならず全国への器械製糸の普及にも貢献した。その後、福島県の二本松製糸所の設立・開業を指導。内務省に出仕し、政府から万国博覧会や内国勧業博覧会などの繭・生糸審査官を度々任命され、内外の博覧会での繭生糸審査法を確立した。大久保利通が推進した殖産興業の柱の一つである製糸業の技術スペシャリストとして活躍。 *1879年(明治12年)より官営富岡製糸場の3代目所長を務めた。一旦同製糸場を離れた後に1885年(明治18年)からは5代目所長として復帰し、富岡製糸場が三井家に払い下げられるまでの8年間、通算で10年余の間同所長を続け工場の経営改善に取り組んだ。富岡製糸場の所長在任中だけでなく退任後も、指導的立場から全国各地の製糸所に対する技術指導を活発に行い、製糸技術の改良・普及、生糸の品質向上に腐心し、後進の育成に取り組んだ。 *全国的な生糸直(じか)輸出専門商社として設立された横浜同伸会社の初代取締役社長に就任し、日本の製糸業の発展に尽力した。名前の英文表記:Kenzo Hayami 若しくは Kenso Hayami
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「速水堅曹」の詳細全文を読む
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