|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 週 : [しゅう] 1. (n,n-suf) week ・ 週刊 : [しゅうかん] 【名詞】 1. published weekly ・ 新 : [しん] 1. (n,n-suf,pref) new ・ 新潮 : [しんちょう] (n) Shinchou (magazine and publisher) ・ 潮 : [しお] 【名詞】 1. tide 2. ebb and flood 3. salt water 4. opportunity
『週刊新潮』(しゅうかんしんちょう)は、株式会社新潮社から発行されている週刊誌。1956年(昭和31年)2月6日(2月19日号)創刊。 発行部数53万部は週刊文春に次いで業界第2位〔http://www.j-magazine.or.jp/data_002/m1.html#002〕。発売日は毎週木曜日(地域によっては金曜日・土曜日)。定価は340円(5%消費税込み)。 == 創刊 == 昭和20年代の『週刊朝日』を始めとした新聞社系週刊誌が全盛の中、1954年に副社長の佐藤亮一らにより週刊誌が企画され、佐藤が編集長、編集者に斎藤十一が加わって、1956年に発刊。『週刊朝日』とは異なる路線を目指した。 創刊号(2月19日号)のラインナップは、 * 連載小説 : 谷崎潤一郎「鴨東綺譚」、大佛次郎「おかしな奴」、五味康祐「柳生武芸帳」 * 読切小説 : 石坂洋次郎「青い芽」 * 読切連載 : 中村武志「目白三平の逃亡」 創刊号は40万部を売るが、その後は20万部程度になる。谷崎の連載はモデル事件により6回で中断し、代わって石原慎太郎「月蝕」を連載。続いて柴田錬三郎「眠狂四郎無頼控」の連載も開始、11月12日号からは「吉田茂回顧録」も連載し、部数は50万部に達した。五味、柴田の人気は、剣豪小説ブームの引き金ともなった。 当時の編集方針を斎藤十一は後に「俗物主義」と呼び、新聞社が扱わないニュース、金と女に着目するものだった。創刊時から起用したライターには草柳大蔵がおり、アンカーマンとして特集記事をまとめるようになる。代表的な記事には、カメラマンとして土門拳が参加した「八月六日の遺産-初めてルポされたABCC(原爆傷害調査委員会)の実態」(1957年8月11日号)、「特別レポート 横綱審議会-大義名分を巡る攻防の五時間」(1958年2月10日号)などがある。その後に参加したライターには井上光晴、編集者として江國滋もいた。こうして次第に独自のスタイルを築き、部数は上向き、1959年新年号は100万部を発行するまでになった。 2010年11月時点での公称部数は50万部〔「週刊新潮」電子版を海外限定で配信 450円 - MSN産経ニュース (ウェブ魚拓 )〕。 編集部次長を務めた亀井淳によると、データマンと呼ばれる記者が取材を行い、それをアンカーマンと呼ばれる担当デスクがこれらの資料を基に記事を書く方式を取っているという(ジャーナリスト#分業制も参照)。これは創刊当時、新聞社ほどの取材網を持たなかったことや取材経験のある従業員がいなかった同誌の苦肉の策であった(TIMEやニューズウィークなどのような記者署名付の記事がほとんど無いのはこのためである)が、結果的に成功を収め、その後の週刊誌創刊ラッシュの道を開くことになった。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「週刊新潮」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|