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『進ぬ!電波少年』(すすぬ でんぱしょうねん)は、1998年1月11日から2002年9月29日まで日本テレビ系列局で放送された日本テレビ製作のバラエティ番組。製作局の日本テレビでは毎週日曜22時30分 - 22時54分 (JST) に放送された。 番組タイトルの「ぬ」は、『進め!電波少年』の「め」の払いの部分をのばしたものであり、同番組がリニューアルしたものであることを示している〔なお、「進ぬ」としての初日の新聞番組欄では新番組扱いとされておらず、マークはついていなかった。〕。 == 概要 == スタッフや企画方針などは基本的に従来どおりであるが、松村邦洋がレギュラーから外れ、また、アポなしロケが行なわれずに若手タレントの挑戦企画がほとんどを占めるようになった点において異なる。この番組の開始から3か月後の1998年4月5日には『雷波少年』という兄弟番組もスタートし、2002年3月31日まで放送された。 開始当初の司会は松本明子単独。その後、1999年1月に松本が司会をチューヤンに託して一時降板。4月からは松本とチューヤンの2人で進行した。2000年には松本が産休に入るため、代役で『雷波少年』の企画に参加したこともある女優の室井滋が起用された。なお、室井初登場時、室井は電波少年お決まりの「アイマスク着用でワケもわからないまま」連れてこられた。 番組放送中の2001年5月には、Tプロデューサーこと土屋敏男が日テレの編成部長に昇進。通常であれば降板となるが、土屋はその後もT部長として関わり続けた。ただし、スタッフロールでの表記はチーフプロデューサーではなく「企画」だった。ちなみにT部長として登場の際は、美人秘書ナンシーがついてまわった。 前番組『進め!電波少年』のヒッチハイクを主とした後半の流れを受け継ぎ、この番組でもほぼ無名に近い若手タレントらを体当たりで合宿方式を用いた企画シリーズを展開した。特になすびの「電波少年的懸賞生活」、朋友の「アフリカ・ヨーロッパ大陸縦断ヒッチハイク」、Rマニアの「電波少年的無人島脱出」および「電波少年的スワンの旅」などの企画は好評を博し、1998年8月16日、9月13日放送分では視聴率30.4%を獲得するなど、当時の日本テレビの看板番組の一つに数えられるほどの人気を獲得した。 とはいえ、番組後半ではヒッチハイクも世界中行き尽くして行くところがなくなり、また、前述のような人気企画やなすびなどの人材も出なくなるなど、その人気にも次第に陰りが見え始めることとなる。長期に渡る看板企画が終了する一方で、新しい企画も多数作られるものの相次いで短期で終了という状況が続き、演出に対する視聴者からの風当たりも増し、それにつれて視聴率も徐々に低下していったことを受け、2002年9月29日に番組自体も終了。『電波少年』の流れは、土曜22時台で1時間枠でスタートした『電波少年に毛が生えた 最後の聖戦』へと引き継がれた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「進ぬ!電波少年」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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