|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 進歩 : [しんぽ] 1. (n,vs) progress 2. development ・ 進歩的 : [しんぽてき] (adj-na) progressive ・ 歩 : [ほ, ふ] 【名詞】 1. a step 2. a stride 3. counter for steps ・ 的 : [まと, てき] 【名詞】 1. mark 2. target ・ 保 : [ほ] 1. (n,vs) guarantee ・ 保守 : [ほしゅ] 【名詞・動詞】1. conservative 2. maintaining, maintenance ・ 保守主義 : [ほしゅしゅぎ] (n) conservatism ・ 守 : [もり] 【名詞】 1. nursemaid 2. baby-sitting ・ 主 : [ぬし, おも] 【名詞】 1. owner 2. master 3. lover 4. god ・ 主義 : [しゅぎ] 【名詞】 1. doctrine 2. rule 3. principle ・ 義 : [ぎ] 【名詞】 1. justice 2. righteousness 3. morality 4. honour 5. honor
反米保守(はんべいほしゅ)は、反米の立場で、政治思想的には保守派に属する立場をいう。思想傾向としては民族主義に近い(概念上の問題なので国家主義とは違う)。日本における右派・保守派の一潮流である。対義語は親米保守。 == 概要 == 歴史的な定義は、江戸時代の国学または、明治初期の『農本主義』や『アジア主義』(「興亜会」、「黒龍会」)、中江藤樹、山田方谷、熊沢蕃山らが研究に熱心だった神風連の乱の精神的支柱ともなった王陽明の『陽明学』、藤田東湖が確立した『水戸学』等の国粋主義を指す総称である。また、亜細亜主義に類する南進論や北進論、アジア・モンロー主義もこれに該当する。言論の世界では、とりわけ清国の文明を積極的に評価した陸羯南の「日本新聞社」あるいは『打倒英米論』を唱え続けた野依秀市の「帝都日日新聞」、政党では鳥尾小弥太が組織した保守党中正派(保守中正派)などがこれに当たる。昭和前期には、これまでの亜細亜主義とは異なる「東亜新秩序」など新しい思想が三木清らによって唱えられている。 福澤諭吉を意識し、「白閥打破」「亜細亜モンロー主義」「興亜論」を唱えた戦前の典型的なナショナリストである徳富蘇峰は、大東亜戦争終戦後に『敗戦学校・国史の鍵』を著し、その中で、「日本は古来中国から巨大な影響を受け、質・量全てにおいて中国には敵わないと意識したときに負けじ魂から独自のものを生み出した。それが"神道"であり、中国に対する劣等感を日本の独自性への観念に転換した分水嶺は聖徳太子だった。聖徳太子は十七条の憲法を作ることによって日本の国体を明徴させ、中国との対等の交際を築こうとした。その自尊心を表現したのが『日本書紀』だった。」と述べ、日中の関係を「横綱(中国)と十両(日本)」と表現した。また、蘇峰は源頼朝を保守的政治家の典型例として捉えた。しかしながら、勝海舟は北条氏を非常に高く評価しており、歴史家の内藤湖南や大山柏は奥羽越列藩同盟に同情的である。蘇峰の歴史観が、明治以後のいわゆる「薩長史観」に傾倒していることも事実であり、会津藩や石田三成を論じるまでには至っていない。 戦後最大の思想史研究家と言われ、近代日本思想史の中で、保守思想を明確に定義付けたのは丸山真男である。丸山は幕末・維新期の思想家、特に荻生徂徠と福澤諭吉を丹念に研究し、明治初期の健全なナショナリズムと大川周明や田中智学に代表される昭和初期の「超国家主義」との二項対立史観の樹立を行った。この丸山の業績によって「保守」と「右翼」の違いが明瞭化され、後身の思想史家に大きな足跡を残した。続いて登場した小林秀雄・江藤淳等は、論壇で戦後民主主義の批判を主張し、GHQによる戦後の言論統制や図書の焚書を明かした。歴史評論の分野では司馬遼太郎が、明るい明治初期とそれ以後の暗い大正・昭和を描き出し、日露戦争を近代日本の最も輝かしい頂点とした。しかし、その「司馬史観」についてはさまざまな毀誉褒貶が生まれている。また徳富蘇峰の考えでは、日本が列強に追いつこうとして焦ったために、米国から嫉妬され行き違いが生じたのだと論じ、これが大東亜戦争肯定論に繋がっていった。 元陸軍参謀本部作戦課長の服部卓四郎ら再軍備派が1952年、吉田首相が公職追放された者や国粋主義者らに敵対的な姿勢を取っているとして、 同首相を暗殺し、立憲政友会(正統派・久原派)の鳩山一郎を首相に据えるクーデター計画を立てていたことに象徴されるように、「反米」といっても、この系譜の政治グループが敵視しているのは、アメリカそのものというより、日米安全保障条約の下における軽武装路線など、吉田政権時代に敷かれた政治路線である。吉田茂の系統である親米保守(右派リベラリスト)の立場とはアメリカ合衆国に対する態度、および国家安全保障(国の生残り)と民族の誇りのどちらに重きをおくか、国民と国家のどちらに重点を置くかにおいて大きく食い違う。 一般に、日本の主体性や伝統・文化を重んじ、アメリカ合衆国の政策に対して批判的立場をとる場合もあるため、自由民主党の日米安全保障条約に基づく対米従属的な外交姿勢や新自由主義的政策を否定し、アメリカをはじめとする外国からの干渉を嫌う傾向にあり、ノーベル賞や環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)などに見られる学問・社会・経済のグローバル化にも反対の姿勢を取る。 アメリカが日本に対して命令的な態度を取るほど、干渉に反発して反米保守が拡大し、逆に日米関係が円滑に進むほど、親米保守が拡大してきた。親米保守と反米保守は共に保守勢力であり、「アメリカを好きか嫌いか」という国民感情によって保守のなかの反米派の勢力図は移り変わる面がある。たとえば近年では、児童ポルノ法のアニメやマンガへの表現規制問題や靖国参拝問題、クジラ漁問題などのアメリカによる干渉で、インターネットを中心に反米保守的な主張が拡大し、親米派は懸念を示している。日本に限らず、外国からの干渉は例え人権問題であっても国民の感情的な反発を招きやすい。干渉がアドバイスを言ってるつもりでも、「優れた私達が未熟な貴方達を指導してあげます」といった差別感情や主従関係を相手国民に抱かせてしまいがちだからである。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「反米保守」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|