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逸仙[いつせん]
逸仙(いつせん、、ピン音:Yi Xian)は、中華民国海軍が日中戦争前に建造した砲艦。中華民国海軍では軽巡洋艦に類別されていた。艦名は孫文の字である。英語圏等で見られる“Yat Sen”というのは広東語読みである。 ==艦歴== 1931年に上海江南造船廠にて完成した。1935年には台湾統治40周年を記念して開催された博覧会に招待された福建省主席陳儀を乗せ基隆港へ寄港している。 1937年に支那事変が勃発、南京の江陰要塞防衛の任に就く。9月24日に寧海、平海の両艦が空襲で撃沈されると、替わって本艦が旗艦となる。しかしながら9月25日午前、敵機16機が本艦を攻撃し2機を撃墜したものの、14名の戦死者を出し沈没した。1938年日本軍が浮揚、5月12日に呉に回航、修理。この際兵装を日本軍式に改めると共に、船尾楼甲板の増設、音探、電探を装備している。1939年7月29日雑役船阿多田として兵学校練習船として再就役した。敗戦後中華民国に返還されるにあたり軍艦への復旧がなされたが、この際に廃艦となる八雲のドイツ製の調度品をのせて1946年7月30日に復旧工事を完了。8月25日上海にて中華民国へ返還され、旧艦名に復した。 1949年4月23日に南京で発生した第二艦隊叛乱事件では白旗を掲げ投降したかに見せかけ、後に攻囲を突破し脱出した。台湾に到着後近海の警備に幾度となく参加。艦番は「78」であった。1958年6月1日に除籍、1959年5月19日にスクラップとして売却された。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「逸仙」の詳細全文を読む
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