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逸見晴恵 : ウィキペディア日本語版
逸見晴恵[いつみ はるえ]

逸見 晴恵(いつみ はるえ、1949年6月11日 - 2010年10月21日)。日本エッセイスト。旧姓は小林(こばやし)。東京都目黒区生まれ。オフィスいつみ所属(マネジメントはフロンティア・ロードと業務提携)。
== 来歴・人物 ==
フジテレビアナウンサーで、司会者タレントとして活躍した逸見政孝の妻。東京都立目黒高等学校文化服装学院師範科卒業後、1970年結婚。俳優タレント司会者逸見太郎は長男。タレントレポーター逸見愛は長女。
長らく専業主婦であったが、1988年10月、夫・政孝のフリー独立を機会に、三木プロダクション系列の「オフィスいっつみい」(現在は「株式会社オフィスいつみ」に社名変更)を設立し、取締役社長に就任。しかし、政孝が1993年12月25日がん性悪液質により、48歳の若さで逝去。その後は政孝が家族のために建てた家を守るために、医学エッセイを多数書き下ろし、テレビ出演や講演活動を積極的にこなしたが、後述する難病を発症し、満身創痍になりながらも、5億円のローンをほとんど返済した。
政孝の死から約3年後に晴恵自身も、初期の子宮がんを患っていたことを公表。子宮がんは、初期の発見で0ステージで完治したものの、その後血液細胞のがんの一種である骨髄異形成症候群を発症する。10年ほど闘病していたが、2010年10月21日肺胞蛋白症のため死去した〔逸見政孝氏の妻・晴恵さんが死去 サンケイスポーツ 2010年10月25日閲覧〕。。喪主は父親の政孝と同様、息子の太郎が務めた。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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