翻訳と辞書
Words near each other
・ 逸見政孝
・ 逸見昌経
・ 逸見明正
・ 逸見晴恵
・ 逸見智彦
・ 逸見有義
・ 逸見氏
・ 逸見清光
・ 逸見猶吉
・ 逸見石
逸見祥仙
・ 逸見稔
・ 逸見筋
・ 逸見繁経
・ 逸見義清
・ 逸見良造
・ 逸見謙三
・ 逸見重雄
・ 逸見駅
・ 逸話


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

逸見祥仙 : ウィキペディア日本語版
逸見祥仙[へんみ しょうせん]
逸見 祥仙(へんみ しょうせん、生年不詳〔阿部『戦国人名事典コンパクト版』、P681〕 - 天文7年10月7日1538年10月29日〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕は、戦国時代武将小弓公方家の重臣〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕。受領名は山城守〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕。実名は忠次(「清和源氏逸見系図」)〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕。
== 略歴 ==
甲斐武田氏庶流の一族とも〔、真里谷氏の一族ともいわれるが、詳しい血縁関係などはわかっていない。官途名は左京亮であり〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕、足利義明から山城守の受領名を与えられる〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕。甲斐の武田信虎と足利義明との間を媒介して両者を結びつける〔滝川恒昭「小弓公方家臣・上総逸見氏について―国立国会図書館所蔵「逸見文書」の紹介―」(『中世房総』6号、1992年)〕。天文7年(1538年)、第一次国府台合戦において義明と共に出陣して奮戦したが、最後は義明と共に戦死した〔。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「逸見祥仙」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.