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遅 浩田(ち こうでん、1929年7月 - )は中華人民共和国の軍人、政治家。第15期中央政治局委員、中央軍事委員会副主席、国務委員、国防部部長などを務めた。 == 経歴 == 1929年、山東省招遠県に生まれる。1945年7月、八路軍に入隊。1946年、中国共産党に入党。1950年、中国人民志願軍に参加。1955年、少校に任官。 1955年、第27軍235団政治処主任。1958年-1960年、解放軍総部高級歩兵学校。1959年-1960年、中国人民解放軍軍事学院(合成系)。 1960年、第27軍79師235団副政治委員兼政治処主任、団政治委員。1962年、中校に昇格。1966年、79師政治部主任。1967年、79師副政治委員。1969年、第27軍政治部副主任。 1973年、北京軍区副政治委員、人民日報副総編集長。1976年7月に発生した唐山地震では救済活動に参加した。副総参謀長、総参謀部政治部主任、済南軍区政治委員、解放軍、総参謀長、総参謀党委員書記。 1988年に中央軍事委員会委員、総参謀長、上将。1992年10月の第14回全国代表大会で中央軍事委員会委員に再任、1993年3月第8期全人代第1回会議で国務委員、国防部長。1995年9月中央軍事委員会副主席。 2003年3月の全人代で引退。 2005年4月、政治局拡大会議で胡錦濤の平和と発展路線を批判し、台湾の武力解放やアメリカおよび日本殲滅のために核の使用さえ辞さないと発言していることが分かった。国防部長時代にも「台湾の解放」を訴えている。 第12期から第15期中央委員、第15期中央政治局委員。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遅浩田」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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