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遊佐 長教(ゆさ ながのり)は、戦国時代の武将。河内畠山氏の重臣で河内守護代、河内若江城主。官位は河内守。遊佐順盛(のぶもり)〔こちら を参照。〕の子で室は十河一存の娘など。子に信教、三好長慶継室など。 == 出自 == 遊佐氏は出羽の国人領主の家柄で、11世紀末から12世紀にかけての間には出羽に遊佐荘を立荘していたことがわかっている。この荘園は藤原基衡に寄進し、在地領主となった。遊佐氏自身は藤原秀郷の末流と称するが定かではない。史料的には、藤原忠衡が遊佐氏の初代とするものもあるが、確証はない。ただ、出羽の名族であったことは確かであるといえる。 鎌倉時代末期から南北朝時代に一族の者が畠山氏に仕えたとされる。長教の系統の遊佐氏は、畠山基国の時代に遊佐長教からみて曽祖父にあたる遊佐国長(長護)が河内守護代となって以来、代々河内守護代を務めた家柄。別流には能登守護代の遊佐氏や越中守護代の遊佐氏もあり、河内守護代でも畠山氏尾州家(畠山政長の系統)に仕えた彼とは異なり、総州家(畠山義就)に仕えた遊佐氏もいた。出羽で先祖伝来の地を守った一族も存在する。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遊佐長教」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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