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運航指揮官(うんこうしきかん)は、日本海軍が太平洋戦争中に護送船団を現場で指揮統制するために設置した役職である。主に予備役の大佐が任命され、数名の通信兵から成る運航指揮班を率いて乗船指揮した。初期には運航統制官と称した。 == 沿革 == 太平洋戦争の開始後、日本海軍は、南方占領地からの資源輸送のため護送船団を頻繁に運航することになった。1942年(昭和17年)4月に南方航路の護衛組織として2個の海上護衛隊を創設する。多数の商船を船団として安全に編隊航行させるため現場指揮を執る海軍士官が必要と考えられ、東南アジア方面を担当する第一海上護衛隊では、部内限りの制度として運航統制班を設置した〔防衛庁防衛研修所(1971年)、120頁。〕。運航統制班は士官である運航統制官と下士官・兵の電信・信号要員若干で構成され、運航統制官には主に予備役召集の大佐、一部は中佐が充てられた。部内限りの制度であるため、運航統制官の正式な身分は「海上護衛隊司令部付」として発令されていた〔雨倉孝之 『海軍護衛艦物語』 光人社、2009年、157頁。〕。第一海上護衛隊創設時の運航統制班は、北区域分担の第1運航統制部(第1-8運航統制班)、北緯10度以北の東区域・西区域分担の第2運航統制部(第9-14運航統制班)、北緯11度以南の西区域分担の第3運航統制部(第15-20運航統制班)に軍隊区分されていた〔第一海上護衛隊司令部 『自昭和十七年四月一〇日 至昭和十七年四月三十日 第一海上護衛隊戦時日誌』アジア歴史資料センター(JACAR) Ref.C08030137900、画像6枚目。〕。軍隊区分上は20個の運航統制班となっているが欠番があり、実数は時期によっても異なる。全ての船団に運航統制班が乗船していたわけではなく、乗船しない場合は護衛艦の艦長など船団部隊中の先任士官が指揮を執った。大井(2001年)によると運航統制官は護衛艦が付かない船団に乗船したとあるが〔大井(2001年)、106-108頁。〕、護衛艦が付いた船団にも乗船している。トラック島に至る太平洋方面担当の第二海上護衛隊にも、1942年8月中旬に運航統制班の制度が導入された〔防衛庁防衛研修所(1971年)、199頁。〕。 第1海上護衛隊の運航統制官は、商船の船長に対する指揮権を明確化するため1942年11月4日に運航指揮官と改称し、合わせて運航統制班も運航指揮班へ改称した〔防衛庁防衛研修所(1971年)、195-197頁。〕。同月25日の特設艦船部隊令改正(昭和17年11月25日内令2183号〔「内令第二千百八十三号」『自昭和十七年九月 至昭和十七年十二月 内令』JACAR Ref.C12070173700、画像46枚目。〕)で海上護衛隊に属する運航指揮官が正式に制度化された。 翌1943年(昭和18年)にシーレーン保護を総括する海上護衛総司令部が設置された後も運航指揮官・運航指揮班制度は継続された。1944年(昭和19年)4月には大規模船団指揮を任務とした少将級の特設護衛船団司令部が編成されたが、運航指揮官・運航指揮班制度も引き続き運用された。ヒ68船団やヒ72船団のように同一船団に運航指揮班と護衛船団司令部が乗船した事例もある。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「運航指揮官」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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