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遍昭 : ウィキペディア日本語版
遍昭[へんじょう]

遍昭(へんじょう、弘仁7年(816年) - 寛平2年1月19日890年2月12日))は、平安時代前期の歌人俗名良岑 宗貞(よしみね の むねさだ)。大納言良岑安世の八男。官位従五位上左近衛少将〔『日本文徳天皇実録』嘉祥3年3月28日条による。『尊卑分脈』では正四位下・左少将、「良峰氏系図」(『続群書類従』所収)では右少将とする。〕。花山僧正とも号す。六歌仙および三十六歌仙の一人。
== 経歴 ==
仁明天皇蔵人から、承和12年(845年従五位下左兵衛佐、承和13年(846年左近衛少将備前介を経て、嘉祥2年(849年蔵人頭に任ぜられる。嘉祥3年(850年)正月に従五位上に昇叙されるが、同年3月に寵遇を受けた仁明天皇崩御により出家する。最終官位は左近衛少将従五位上。
円仁円珍に師事。花山の元慶寺を建立し、貞観11年(869年)紫野の雲林院別当を兼ねた。仁和元年(885年)に僧正となり、花山僧正と呼ばれるようになる。『日本三代実録』によれば、この年の12月18日に宮中仁寿殿において、光孝天皇主催による遍昭の70歳の賀が行われていることから、光孝天皇との和歌における師弟関係が推定されている。
京都市山科区北花山中道町に墓がある。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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