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道上 洋三(どうじょう ようぞう、1943年3月10日 - )は、朝日放送のエグゼクティブ・アナウンサー・常勤顧問。 == 来歴・人物 == 山口県熊毛郡平生町の出身。2014年7月にワニブックスから刊行された自著『ふたつめの誕生日 〜おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」〜』にて、実際には1942年7月に出生していたこと を明かしている。 出生の時点で実父が太平洋戦争に出征していた〔 ことなどから、5歳までは広島県甲奴郡上下町の母方の祖父母宅で育った〔『おはようパーソナリティ 道上洋三のないしょ話』:pp.147 - 151〕。ちなみに実母は、祖父の勧めで1947年に再婚すると、再婚相手との間で道上の弟に当たる一卵性双生児を出産。道上も一時再婚相手と同居していたが、道上や弟に対する冷遇振りに業を煮やした祖父が、道上・実母・双子の弟を実家(母方の祖父母宅)に連れ戻したという。結局実母は、道上が6歳の時に双子の弟を養子に出したうえで、道上が18歳になるまで平生町で道上と生活を共にした〔『ふたつめの誕生日 〜おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」〜』pp.16 - 23「おふくろの『なんで?』」〕。 山口県立熊毛南高等学校を経て、日本大学法学部へ進学。俳優の原田大二郎は、中学校・高校の2年後輩に当たる。中学校時代に軟式テニス部で活動した後に、高校時代に一時期野球部に所属したが、「弱すぎる」という理由で退部した。陸上部に転籍してからは、110メートル走やハードルで県大会の2位を記録〔『AERA』2016年2月15日号「現代の肖像」p.59〕。「山口に道上あり」と言われるほどの好成績を収めた末に、日本大学への推薦入学を果たした〔『ふたつめの誕生日 〜おはようパーソナリティ道上洋三の「なんで?」〜』pp.36 - 41「吹奏楽の『なんで?』」〕。 日本大学では、陸上競技のハードルで1964年の東京オリンピックを目指していた。しかし、1年生の夏季休暇中の練習で、腰を痛めたことを機に陸上競技部を退部〔。「選手としてはオリンピックに参加できなかったけど、報道する人間として参加できないものか」との思いから、2年生の時に「オール日大放送研究会」へ入る〔とともに、スポーツアナウンサーを志すようになった〔軍司貞則『ラジオパーソナリティ~22人のカリスマ~』(扶桑社刊、1998年5月初版発売)に所収のインタビューより。就職活動では、朝日放送への入社が内定するまでに、新聞社や放送局を6社受験したという。〕。3年生の時に「オール日大放送研究会」の部長に就任すると、後に日本教育テレビ → テレビ朝日のアナウンサーになる1年先輩・北村元からの依頼で、吹奏楽研究会のコンサートの司会も務めた〔。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道上洋三」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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