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道孚県[どうふ-けん]
道孚県(どうふ-けん、タウ、rta'u)は中国四川省カンゼ・チベット族自治州東部に位置する県。東は丹巴県、西は新龍県、南は康定県と雅江県に、北は炉霍県と阿壩州の金川県・壌塘県に接する。 県城は鮮水鎮にあり、カンゼ州州都康定(タルツェムド)からは219km、四川省省都成都からは585km。タウ(道孚)はかつて「道塢」という漢字をあてられていた。これはチベット語で「馬」を意味する。 == 歴史 == タウ(道孚)は中国とチベットの勢力がぶつかる地であった。隋朝には附国に属したが唐代には吐蕃に属している。明代には長河魚通寧遠宣慰司(明正土司)の支配地となった。康熙四十年(1701年)、清朝廷は境内の十の土百戶から冊封を受けた。雍正七年(1729年)、境内は明正、丹東、麻書、孔撒の四つの土司(異民族の世襲の統治者)が分割し、清は彼らを通じた間接支配を行った。 清末期になると間接統治から中国の直接統治への模索が始まった。宣統三年(1911年)、この地には道塢設治局が設けられ、1912年には道塢県が設けられ、翌1913年には道孚県と改名され川辺特別行政区に属した。民国14年(1925年)には川辺特別行政区は西康特別行政区に改編され、民国24年(1935年)には道孚に西康宣慰使公署が設けられた。 1936年、紅軍は長征の過程でタウを通過し、道孚県博巴政府(チベット人政府、「博巴」は「チベット人(bod pa、プーパ)」の漢字転写)を設け、各郷にも郷級博巴政府を設置させた。1950年,道孚は西康省チベット族自治区に属し、1955年の西康省撤廃後は四川省カンゼ・チベット族自治州に属した。1978年には近くの乾寧県が廃止され、協徳、扎壩の2区は道孚県に移されている。
抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「道孚県」の詳細全文を読む
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