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達奚寔(たつけいしょく、513年 - 561年)は、中国の西魏・北周の軍人。字は什伏代。本貫は河南郡洛陽県。 == 生涯 == 北魏の武衛将軍の達奚顕相の子として生まれた。給事中を初任とし、冠軍将軍を加えられた。532年、都督に任ぜられ、弘農に駐屯した。後に関中にうつり、臨汾県伯に封ぜられた。大行台郎中に転じ、行台の郎神とともに潼関に駐屯した。潼関が陥落すると、大都督の陽山武とともに東魏軍と戦った。宇文泰の下で竇泰を捕らえ、弘農を奪回し、沙苑で戦って、いずれも奮戦して功績を挙げ、車騎将軍・左光禄大夫の位を加えられた。547年、大行台郎中・相府掾に任ぜられ、従事中郎に転じた。大都督・持節・通直散騎常侍に累進した。553年、中外府司馬に任ぜられた。 西魏軍が蜀に遠征すると、達奚寔は行南岐州事をつとめ、都軍糧を兼ねた。山氐に賦役を供出させ、西魏軍の糧食を供給させた。長安に召還されると、司馬となった。556年、六官が建てられると、蕃部中大夫の位を受け、驃騎大将軍・開府儀同三司を加えられ、爵位は平陽県公に進んだ。560年、御正中大夫に任ぜられ、民部を管轄し、宇文護の司馬を兼ねた。561年、文州刺史として出向し、文州で死去した。文康二州刺史の位を追贈された。諡を恭といった。 子の達奚豊が後を嗣いだ。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「達奚寔」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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