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達身寺(たっしんじ)は、兵庫県丹波市氷上町清住にある寺院。山号を十九山(じゅうくさん)と称する。本尊は阿弥陀如来、開基は行基と伝える。宗派は曹洞宗に属する。 達身寺は丹波地方有数の古刹であり、「丹波古刹十五ヶ寺霊場」第六番霊場になっているほか、西国薬師四十九霊場第二十五番札所、「氷上郡西国番外霊場」にもなっている。また、宝物殿には平安時代前期から鎌倉時代の仏像が多数納められており、「丹波の正倉院」の別名をもつ。 == 歴史 == この寺の草創の正確な事情および中世以前の沿革は定かではない。寺伝によれば開山は行基によるもので、その後は僧兵も抱える大寺院となったが、明智光秀の丹波攻めの際に焼き討ちを受けたとされる。現在の住職である渡辺健臣は、寺のある場所が古い時代には東寺の荘園であったことから、中世には真言宗であったと推測している。また渡辺住職は、寺伝を伝える文書がさほど古くないことから、寺伝に記された内容の信憑性は評価出来ないとも指摘している〔『芸術新潮』2008年1月号〕。 元禄8年(1695年)当地に疫病が流行し、占った結果、仏像を放置した罪が原因だといわれたことから、明智光秀の来襲の際に山に隠したまま放置されていた仏像を村人たちが回収し、その際に山中のお堂を麓に移転させて現在の達身寺の前身としたとされる。正徳2年(1712年)に竹雲提山和尚の発願により師である円通寺(丹波市氷上町御油)25世大奄清鑑和尚を勧請開山とし、曹洞宗として再興された。 十九山の達身堂(たるみどう)を本堂としてこの地に移したため、十九山達身寺と号した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「達身寺」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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