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遠井 吾郎(とおい ごろう、1939年12月4日 - 2005年6月27日)は、山口県熊毛郡平生町出身のプロ野球選手(内野手)。 恰幅のいい体格や、温厚な人柄から「仏のゴローちゃん」として親しまれた。 == 来歴・人物 == 柳井高校時代は主に一塁手を務めていたが、時折投手も務めていた〔『プロ野球〈猛虎復活〉読本』、p.160〕。3年生時の、春の選抜に出場。準々決勝で早稲田実業に敗れる。この時、遠井は投手として登板した王貞治に3三振を喫し、リリーフとして登板した時には王からタイムリーヒットを浴びる〔。在学中に八幡製鐵への就職が内定していたが、河西俊雄から誘いを受けてに大阪タイガースへ入団〔『プロ野球〈猛虎復活〉読本』、pp.159-160〕。当時の新聞記事では超高校級の打力と評価され〔、「ポスト藤村」として期待された〔『猛虎大鑑』(ベースボール・マガジン社, 2002年5月)、p.37〕。 1年目に一軍戦で9試合の出場を果たし、2年目には天覧試合で代打として出場する〔『プロ野球〈猛虎復活〉読本』、p.161〕。怪我の多い藤本勝巳と併用される形で出場し〔、からは4番打者を務めるなど長く中心打者としてチームを支えた。同年の日本シリーズでも4番打者を任されるが、期待通りの活躍はできなかった〔。には長嶋茂雄と首位打者争いを繰り広げるが、7月末に肉離れを起こしてタイトル争いから脱落し、シーズン終了時にはリーグ2位の打率.326を記録した〔『プロ野球〈猛虎復活〉読本』、p.165〕。 レギュラーを外れた晩年は代打としても活躍し、代打通算打点96は桧山進次郎、八木裕に次ぐ球団3位、プロ野球歴代でも6位の好記録である。からは一軍打撃コーチ補佐を兼任し、に球団史上3,000本目の記念ホームランを代打で放ち〔『プロ野球〈猛虎復活〉読本』、p.169〕、同年に引退。阪神一筋で実働は20年に及び、これは2012年に桧山が21年に更新するまで長らく球団最長記録であった。 引退後の翌は阪神の一軍打撃コーチに就任し、新監督の後藤次男と師弟コンビを組んだが、球団初の最下位に転落。同年オフに退団。その後は曽根崎新地で飲食店を経営し〔『プロ野球〈猛虎復活〉読本』、p.159〕、さらにその後は郷里・山口に戻り、柳井市で飲食店を経営した〔道頓堀野球倶楽部編『阪神タイガース猛虎列伝』(双葉社, 2008年9月)、pp.194-195〕。退団後の一時期、日本短波放送で解説を務めたほか、しばしば草野球にも参加していた〔。6月27日、肺癌のため東京都内の病院で死去〔。享年65歳。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠井吾郎」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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