|
===================================== 〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。 ・ 遠 : [とお] 1. (adj-no) distant ・ 遠山 : [とおやま] (n) distant mountain ・ 山 : [やま] 【名詞】 1. (1) mountain 2. (2) pile 3. heap 4. (3) climax 5. critical point ・ 品 : [ひん] 【名詞】 1. thing 2. article 3. goods 4. dignity 5. article (goods) 6. counter for meal courses ・ 右 : [みぎ] 【名詞】 1. (1) right hand side 2. (2) above 3. afore-mentioned 4. foregoing 5. forgoing ・ 門 : [もん] 1. (n,n-suf) (1) gate 2. (2) counter for cannons
遠山品右衛門(とおやましなえもん、1851年6月17日(嘉永4年5月18日) - 1920年(大正9年)8月28日)は、黒部で猟師をしていた人物。山人(やまうど)。明治期日本アルプスの登山者の案内をしたことで有名。 ==来歴== 信濃国安曇郡野口村(現・長野県大町市)生まれ。戸籍上の名前は遠山里吉。父の名は新三郎、母はりせ、妻の名はきさ。明治維新で加賀藩による御締山の禁が解かれた頃、20歳頃から山に入り、黒部川畔、黒部川本流と針ノ木谷の合流点に小屋(平の小屋)を建て、ときおり里に下りる猟生活に入る。籠川、黒部川、高瀬川でイワナを釣り、冬は、熊やカモシカなどを獲った。高瀬川渓谷、槍ヶ岳、有峰、白馬、戸隠などを狩猟の範囲として生活した。 訪れる者を小屋に泊めたり、イワナを売ったり、ときに道案内をした。1877年(明治10年)針ノ木新道開削時に関係者に宿を提供、1878年(明治11年)針ノ木峠を越える外交官アーネスト・サトウと退役海軍士官A・G・S・ハウスを、1889年(明治22年)農商務省地質調査所の大塚専一を、1909年(明治42年)日本山岳会会員辻本満丸を、同年 後に文部大臣・学習院院長になる安倍能成を小屋に泊めた。 1896年(明治31年)東京帝国大学助教授神保小虎に、1906年(明治39年)志村烏嶺に会い、1910年(明治43年)百瀬慎太郎の針ノ木峠越えの道案内をした。1893年(明治26年)に針ノ木峠を越えるウォルター・ウェストンとはすれ違っている。 大正に入ってから、針ノ木峠を越える俳人河東碧梧桐と評論家長谷川如是閑と会い、イワナを売っている。 出会った幾人かの人は、品右衛門と会ったときの出来事や印象について記録に残している。品右衛門は、「高瀬の主」と呼ばれた。梓川渓谷の上條嘉門次、中房渓谷の小林喜作などと並び称された。 黒部川畔に建てた小屋は、1899年(明治32年)より国は国有林のなかに建てた建物から借地料を取ったので、これを払い、土地を使用する権利を維持した。晩年は里に戻り、1915年(大正4年)には、富山県経営の新しい小屋が建てられた。 子供は、長男作十郎、二男兵三郎、三男富士弥、四男泰知。 狩猟生活に用いた道具など遺品が、多く大町山岳博物館(安曇野アートライン)に保管されている。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠山品右衛門」の詳細全文を読む スポンサード リンク
|