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遠藤ミチロウ(えんどう みちろう、1950年11月15日 - )は、日本のロックミュージシャン。本名、遠藤道郎。 福島県二本松市出身。1980年代から1990年代に活動していたパンク・ロックバンド、ザ・スターリンの結成者でありヴォーカリスト。スターリン解散以降はソロ、アコースティックバンドで活動し、還暦を越えた現在も精力的にライブ活動を行っている。 == 略歴 == ; 1950年 * 11月15日 - 福島県二本松市に生まれる。少年時代を福島県で過ごし、福島県内で一番の進学校である福島県立福島高等学校卒業後、山形大学人文学部へ進学。「東北地方のさらに奥である『北』へ行ってみたかった」というのが山形県へと向かった理由の1つであるらしい。高校2年までは全く勉強が出来ず,3年時に猛勉強して合格した。大学時代はイベンターとしてフォークシンガーのライブを企画したり、山形市の花小路という飲食店街でロック喫茶『ジェスロタル』を経営したりしていた。また旅行も好きだった模様で、ヒッチハイクで山形から九州まで行ったという逸話もある。 ; 1972年 * 大学卒業後、ベトナムなど東南アジアを放浪。帰国後に東京へ上京し、友部正人のバックでベースを務めたり、一人弾き語りをするうちに当時住んでいたアパートの前の喫茶店で流れていたセックス・ピストルズ、パティ・スミスなどに感化され、アパートに住んでいた住人で【コケシドール】というバンドを結成する。 ; 1980年 * 6月6日 - ドラムの乾純を固定メンバーとしてその後【バラシ】、【自閉体】を経てザ・スターリンを結成。演劇的とも呼べる派手なライブ活動で社会的なムーブメントを起こす。映像作家である石井聰亙とも交流があり、映画『爆裂都市 BURST CITY』にも【マッドスターリン】という役名でバンドとして出演している。映画の中で遠藤は臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、当時のザ・スターリンの過激なステージングが疑似体験できる。また石井聰亙はザ・スターリンのPV、ラストライブビデオの監督も務めた。 ; 1982年 * 7月1日 - 徳間音工(現在の徳間ジャパン)からシングル『ロマンチスト』、アルバム『STOP JAP』でメジャーデビュー。オリコン50位内に食い込み、バンドのスキャンダラス性と共に話題になる。 ; 1983年 * 4月25日 - メジャーセカンドアルバム『虫』を発表。 * 5月2日 - 後楽園ホールにて超満員のライブを成功させる(その時のオーディエンス録音のテープを元に、ライブアルバム『絶望大快楽 LIVE at 後楽園ホール'83』(2005年)が発表されている)。 ; 1984年 * 4月10日 - 自身初のソロアルバムである『ベトナム伝説』をカセットブック形式にてリリース。 ; 1985年 * 2月 - ザ・スターリン解散。その後、ソロプロジェクトを始動。【Michiro,Get the Help!】というユニット名でG.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマに三部作を発表。 ; 1986年 * 5月21日 - THE ROOSTERZのギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、アルバム『破産』を発表する。 ; 1987年 * 【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、並行して活動を行う。 * 7月5日 - 【パラノイア・スター】として制作したアルバム『TERMINAL』を発表する。 ;1989年 * 新生【スターリン】を結成し、アルファレコードとメジャー契約を果たす。 ; 1990年 * 7月 - 西ベルリンのライブハウス、ポーランドのロック・フェスティバルにも出演。 ; 1993年 * 【スターリン】解散。以後アコースティック・ソロの形態でソロ活動に入る。『お百度参りツアー』など、全国のライブハウスを転転とギター1本で廻るツアー活動も開始。バンドとはまた違った、自由でユニークなソロ活動を展開。ここで演奏を行った全国のライブハウスやバーを、書籍として「音泉Map 150」で紹介している。 ; 1994年 * 元スターリンの安達親生(Ba)、元ザ・ファントムギフトのナポレオン山岸(Gt)、元Theピーズ、頭脳警察の後藤マスヒロ(後に元マリア観音の平野勇に交代)(Dr)とグランジサイケバンド【COMMENT ALLEZ-VOUS?】を結成、その後2年程活動する。 ; 1995年 * 8月15日 - 戦後五十周年のこの年には今井寿らをゲストにザ・スターリンを復活させ(名義は【THE STALIN15】)、ON AIR EASTにて一夜限りのライブを行う。ザ・スターリンはその後、1996年元スターリンのベーシストである杉山晋太郎追悼ライブにて、2001年スターリンのトリビュートアルバム発売記念ライブにて復活している。 ; 2001年 * 正月に奄美大島へ向かう飛行機内で当時BLANKEY JET CITYのドラマーであり、元ザ・スターリンのドラマーでもあった中村達也と邂逅し、奄美大島のライブでアンコールにてセッションを行う。これを機にそれまでソロとして活動を続けていた遠藤であったが、中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。 ; 2002年 * 石塚俊明とのユニット【NOTALIN'S】の活動がスタート。 ; 2003年 * 上記のユニットにチェロの坂本弘道を迎えて、トリオバンドとして活動。 ; 2004年 * 遠藤を信奉するthee michelle gun elephantのドラマーであったクハラカズユキとのバンド【M.J.Q】が始動。 ; 2005年 * 東口トルエンズ、MOSTの山本久土が参加し、より音に厚みを持った<アコースティックスターリン>とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。宮藤官九郎主催のイベント『グループ魂』への出演や、フジ・ロック・フェスティバルでの演奏も行う。映画『アイデン&ティティ』にも冒頭のインタビューシーンで登場。 ;2005年 * 自身の55歳になる11月15日の誕生日を最終日とした五日間連続ライブを敢行。その模様はDVD『Just Like a Boy』に収められている。 ; 2008年 * ハードコアバンドGAUZEのドラム・HIKOとのユニット【道HIKO】結成、【COMMENT ALLEZ-VOUS?】一夜限りの復活ライブを行う。 ; 2011年 * 東北地方太平洋沖地震の影響で発生した福島第一原子力発電所事故によって被災した故郷である福島に対して、復興支援として「プロジェクトFUKUSHIMA!」を発足させる。 * 8月15日 - 「プロジェクトFUKUSHIMA!」のイベントとして、大友良英、坂本龍一等と「8.15世界同時多発フェスティバルFUKUSHIMA!」を開催。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤ミチロウ」の詳細全文を読む 英語版ウィキペディアに対照対訳語「 Michiro Endo 」があります。 スポンサード リンク
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