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遠藤允信 : ミニ英和和英辞書
遠藤允信[えんどう さねのぶ]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [とお]
  1. (adj-no) distant 
: [ふじ]
 【名詞】 1. wisteria 
: [いん]
 【名詞】 1. sincerity 2. permit
: [まこと, しん]
  1. (adv,n) truth 2. faith 3. fidelity 4. sincerity 5. trust 6. confidence 7. reliance 8. devotion 

遠藤允信 : ウィキペディア日本語版
遠藤允信[えんどう さねのぶ]
遠藤 允信(えんどう さねのぶ、天保7年(1836年) - 明治32年(1899年4月20日))は、江戸時代後期(幕末)の仙台藩の重臣。通称は文七郎。次男に速雄
遠藤氏は代々、伊達氏に仕える重臣として2000石を領していた。允信は安政元年(1854年)、家督を継いで藩主伊達慶邦に仕える。允信は性格が短慮な上、気性が激しかったといわれ、文久2年(1862年)に伊達慶邦の命令で上洛すると尊王攘夷派に共感を覚え、帰国すると藩論を尊王攘夷でまとめ上げようとする。
ところが同じく重臣の但木土佐佐幕派であり、允信の尊王攘夷に反対して対立する。允信は但木との政争に敗れて閉門の処分を受けた。戊辰戦争終結後に罪を許されて奉行に復帰し、仙台藩の戦後処理や版籍奉還などに貢献した。
晩年は宮司になっている。明治32年(1899年)に死去。享年64。
== 関連項目 ==

*遠藤氏



抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「遠藤允信」の詳細全文を読む




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