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遠藤 夏輝(えんどう なつき、1955年7月15日 - )は、日本の脚本家、小説家。 千葉県館山市生まれ、東京都練馬区育ち。日本工業大学付属東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場高等学校)卒業。アウトロー作家として、実録系の脚本や小説の執筆活動をしている。身長170cm。O型。 ==来歴・人物== 1955年に千葉県館山市で三人兄弟の末っ子として生まれ、間もなく両親が離婚。父親の顔すら知らない境遇。母親、祖母、姉、兄と共に千葉県鴨川市に移り住む。祖父母は鴨川市の奈良林が地元。暮らしが貧しかったため、三歳の頃、東京の練馬区に住んでいた母親の姉夫婦に預けられることになるが、そのまま養子となり遠藤氏を名乗る。 養子ということがハンディとなり、練馬区で活動していた高校生不良グループの、『練馬グループ』に加わり中学三年生の頃からグレはじめた。練馬区の中学校を追放され、神奈川県の相模原市立大野南中学校に転校した。 目黒区の日本工業大学付属東京工業高等学校(現・日本工業大学駒場高等学校)に入学。高校二年生で、全校生徒三千人の総番長になり、真面目な生徒からも信望されていたため、生活指導課の先生の推選で三年生のときに風紀委員から風紀委員長となる。 高校卒業後、クルマの免許を取得。マツダ・サバンナGTを先輩から譲ってもらい、調布市を本拠地に活動していた、“走りのルート”の異名を持つ暴走族チーム、ROUTE 20 CHOFU(後にROUTE 20 CAR CLUBに改名)に入り、一年後に三代目のリーダーになる。 当時、原宿で活動していたクールスに対し敵意を燃やし、ROUTE 20のメンバー約300人とともに潰しに行ったが、目の前に現れたクールスに衝撃を受け、ROUTE 20の引退を決意。1976年5月16日、初代が結成したCRS連合を再結成させ引退した。 ROUTE 20 CAR CLUBを引退後、バイクチームのBAD ANGELSを結成し、クールスの弟分として、原宿・表参道を拠点に活動を開始。後に赤いクールスと呼ばれるようになる。 今度はBAD ANGELSが暴走族に狙われるようになり、原宿に大挙して来た暴走族と一触即発の状態になったが、各チームのリーダーたちと顔馴染みだったために回避した。その結果、暴走族を原宿に呼び寄せることになり、日曜日になるたび表参道は暴走族のクルマやバイクで埋めつくされた。そして行政は、暴走族を締め出すために、1977年から表参道を歩行者天国にした。 BAD ANGELS時代には舘ひろし、岩城滉一と親交を深めた。 BAD ANGELS解散後、色々な職業を経て、雑誌の編集に就き、2002年に『実録・北陸やくざ戦争』で脚本家としてデビュー。 2007年に処女作の『原宿ブルースカイヘブン』を世界文化社から出版。1970年代の不良文化を知る不良から転身した唯一の作家といえる。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤夏輝」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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