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遠藤 幸男(えんどう さちお〔#渡辺 p.75〕〔#押尾、野原 p.117〕, 1915年9月9日 - 1945年1月14日)は大日本帝国海軍の軍人、最終階級は中佐(没後進級)。 海軍飛行予科練習生(予科練)の第1期生として日本海軍に入り、海軍航空の道を歩む。太平洋戦争では、前期から中期にかけては当初は遠距離戦闘機として開発された「月光」の開発と改修に参加し、ラバウルに進出後は「月光」を駆使して迎撃戦に活躍。日本本土に帰還後は第三〇二海軍航空隊に所属し、日本本土空襲で来襲するB-29迎撃で奮闘。「B-29撃墜王」と呼ばれて国民的英雄となったが〔#押尾、野原 pp.117-118〕、名古屋空襲の迎撃戦で戦死した。しかし、実際の戦果は「B-29撃墜王」という華々しい称号とは大きく異なるものであり、作為的に作り上げられた「英雄」であった。 == 生涯 == === 開戦まで === 遠藤幸男は1915年(大正4年)9月9日、山形県東村山郡山辺町の材木商の家に生まれる〔。山形県立山形工業学校を経て海軍を志願し〔、1930年(昭和5年)6月に海軍飛行予科練習生〔1937年(昭和12年)の制度改正以降の「乙種飛行予科練習生(乙飛)」〕として横須賀海軍航空隊に入隊〔。1933年(昭和8年)5月に教習課程を卒業して艦上攻撃機搭乗員となった〔。館山海軍航空隊、空母「赤城」飛行隊、霞ヶ浦海軍航空隊および大村海軍航空隊勤務を経て、1937年(昭和12年)7月に勃発した日中戦争勃発に際しては建造中の空母「蒼龍」に配属される〔。「蒼龍」竣工後、1938年(昭和13年)4月から1939年(昭和14年)12月までは大陸戦線に出動〔#押尾、野原 pp.117-118〕。日本に帰還後は百里原海軍航空隊、館山、霞ヶ浦および大村で勤務して、太平洋戦争の開戦を迎えた〔#押尾、野原 p.118〕。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤幸男」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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