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遠藤 章(えんどう あきら、1933年11月14日 - )は、日本の生化学者、応用微生物学者。東北大学農学博士。1957年東北大学農学部を卒業し三共株式会社入社。三共株式会社研究所室長、東京農工大学農学部教授を経て、1997年東京農工大学名誉教授、株式会社バイオファーム研究所代表取締役所長。東北大学特任教授、金沢大学客員教授、早稲田大学特命教授一橋大学イノベーション研究センター客員教授、東京農工大学特別栄誉教授。秋田県由利本荘市(旧東由利町)出身。 == 業績 == 1933年に農家に生まれ、少年時代から菌類に親しむ。東北大学農学部在学中は、青カビからペニシリンを発見したアレクサンダー・フレミングを知り、傾倒する。1957年同大を卒業して三共株式会社に入社し、果汁と果実酒の清澄化に用いるペクチナーゼという菌類の酵素を発見して2年後に商業化に成功。1966年東北大学農学博士。論文の題は「Studies on pectolytic enzymes of molds(糸状菌のペクチン質分解酵素に関する研究) 」1966年から1968年、アルバート・アインシュタイン医科大学(ニューヨーク)に留学。コレステロールが米国で年間数10万人が死亡する心筋梗塞の主要な原因であることを知る。帰国後有効なコレステロール低下剤の開発を目指して、2年間に6000株の菌類を調べ、1973年に青カビ(ペニシリウム・シトリヌム)の培養液からコレステロール合成阻害剤 ML-236B(コンパクチン)を発見。予想に反してコンパクチンがラットのコレステロールを下げないために、1974年初めに開発が中止される。同じ頃、イギリスの研究者もコンパクチンを発見したが、ラットに無効なことを理由に開発を中止。その後遠藤はラットに効かない原因を突き止め、1976年4-7月、同僚の獣医師と共に、コンパクチンが産卵鶏とイヌのコレステロールを劇的に下げることを示す。しかしながら、翌年の1977年春には、ラットに肝毒性があるとして、再度開発中止の危機に直面。それでも「コンパクチンが安全で有効な薬になる」と信じていた遠藤は、大阪大学医学部の山本章医師と協力して、1978年2月、コンパクチンによる重症患者の治療に踏み切る。同年夏までに最重症の家族性高コレステロール血症ホモ接合体を除く重症患者8名で安全性と劇的なコレステロール低下作用を認め、コンパクチンの再復活を果たす。ところが1980年夏には発ガン性があるとする誤判断で開発を完全に中止。一方、三共を追随してスタチン2号となるロバスタチンを発見した米国のメルク社は、膨大な毒性試験で発ガン性がないことを証明し、三共を追い越して1987年にメバコーン®発売に漕ぎ着ける。その後、三共のプラバスタチン(商品名:メバロチン®)など6種のスタチンが商業化される。これらスタチンは心筋梗塞と脳卒中の予防のために、世界で毎日約4000万人に投与され、ペニシリンと並ぶ奇跡の薬と呼ばれる。2005年にはスタチンの年間総売上が270億ドル(3兆円)に達する。なかでも、ファイザーのアトルバスタチン(商品名:リピトール®)は世界の医薬品売り上げの1位を占めるブロックバスターとなっている。 遠藤のこれらの研究は、1985年にノーベル生理学・医学賞を受賞した米国のマイケル・ブラウン、ジョーゼフ・ゴールドスタインによるコレステロール代謝の研究にも大きく貢献した。ブラウンとゴールドスタインは遠藤の日本国際賞受賞に際してお祝いのビデオメッセージを寄せている。2012年3月1日、全米発明家殿堂()は、遠藤が日本人初の「発明家の殿堂」入りすると発表した。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤章」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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