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遠藤 胤富(えんどう たねとみ)は、近江三上藩の第4代藩主。三上藩遠藤家9代。 == 生涯 == 宝暦13年(1763年)2月20日、三河吉田藩主・松平信復の七男として江戸の吉田藩谷中下屋敷で生まれる。明和2年(1765年)1月15日、信復が幕府に丈夫届を提出した際に年齢を水増ししたため、以後公的には宝暦11年(1761年)生まれとされた。天明5年(1785年)10月12日、近江三上藩の第3代藩主・遠藤胤忠の養子となり、寛政2年(1790年)2月20日の胤忠の隠居により、家督を継いだ。家督相続後の6月14日に江戸城竹橋門番に任じられ、11月27日に従五位下・備前守に叙位・任官する。12月26日に大番頭に任じられたが、寛政3年(1791年)6月7日に全ての職を辞職している。 享和元年(1801年)8月6日、左近将監に遷任する。文化元年(1804年)5月2日、竹橋門番に再任され、文化4年(1807年)6月22日まで務めた。 文化8年(1811年)6月23日、病気により家督を婿養子の胤統に譲って隠居する。文化11年(1814年)9月24日に死去した。享年52(公的には54)。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤胤富」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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