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遠藤 胤親(えんどう たねちか)は、近江三上藩の初代藩主。徳川綱吉の側室・お伝の方(瑞春院)の甥にあたる。 == 生涯 == 天和3年(1683年)5月14日、白須政休の長男として生まれる。元禄5年(1692年)に八幡藩主遠藤常久が家臣によってわずか7歳で毒殺されて、遠藤氏は無嗣改易となったが、幕府では遠藤氏の祖先の功績などを考慮して、5月に遠藤胤親を美濃大垣新田藩主・戸田氏成の養子にした上で常陸・下野国内で1万石を与えて、遠藤氏の再興を認めた。 元禄11年(1698年)3月7日、胤親は所領を近江4郡に移されて、ここに三上藩が立藩し、初代藩主となる。宝永6年(1709年)3月7日に従五位下・下野守に叙位・任官する。宝永7年(1710年)に朝鮮通信使の饗応役を勤め、その後も江戸城馬場先門番・和田倉門番・一橋御門番などを務めた。享保8年(1723年)12月18日に但馬守に遷任する。 享保18年(1733年)9月25日、家督を長男の胤将に譲って隠居する。享保20年(1735年)3月2日に死去した。享年53。 たねちか 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤胤親」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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