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遠藤 諭(えんどう さとし、1956年 - )は、日本の編集者、ライター。他の名義にエンドウユイチ、ホーテンス・S・エンドウがある。元「東京おとなクラブ」編集長、「月刊アスキー」編集長、アスキーCOO。現在、角川アスキー総合研究所取締役兼主席研究員。 == 来歴・人物 == 新潟県長岡市生まれ。1980年代前半より、「エンドウユイチ」名義でサブカル系ライターとして活動する。1982年、中森明夫らとミニコミ誌「東京おとなクラブ」を発刊し、その発行人および編集長となる。「東京おとなクラブ」は「戸川純」や「少年ドラマシリーズ」などと言った当時のサブカル文化の中心を行く特集内容と、村上知彦や米沢嘉博と言った評論家、および岡崎京子や桜沢エリカと言ったニューウェーブ系漫画家の寄稿により、当時のサブカル界隈において中心的な存在となった。中森は「オーツカ某」こと大塚英志編集長の下でサブカル色を強めたロリコン漫画雑誌「漫画ブリッコ」内に「東京おとなクラブJr.」というコラムページを持っており、その中で発表した「「おたく」の研究」と題するコラムによって「おたく」と言う用語を生み出したが、エンドウは中森とともに「おたく論」の中心的論者として知られた。遠藤が野々村文宏(「新人類の代表」として中森らと並んでマスコミに取り上げられる一方、ログインのライターとしても活動していた)の紹介によりアスキーに入社したため、「東京おとなクラブ」は5号で休刊となる。 1985年、アスキー入社。2002年まで月刊アスキー編集部に所属し、「マイコン誌」から「パーソナルコンピュータ総合誌」へと発展する同誌を支えた。「ホーテンス・S・エンドウ」名義で「近代プログラマの夕」を連載し、好評を受ける。1990年より編集長となり、月刊アスキーの黄金時代を築く。1999年には発行部数18万部の最盛期を迎える。 「近代プログラマの夕」などで使っている「ホーテンス・S・エンドウ」というペンネームは、ある時マインドスケープ社の人工無脳のラクター(w:Racter)の発した、自己紹介のやりとりのあと、前に日本から来たHortense Endohという奴がいた云々という会話から来ている(「近代プログラマの夕」1988年11月号「ホワイトハッカーについて」より。なおラクターがRACTORと書かれている(単行本でも))。 月刊アスキー編集人を経て、2008年よりアスキー・メディアワークスにて設立されたアスキー総合研究所の所長となる。1万人を対象にコンテンツの利用状況の相互調査を行ったメディアコンテンツサーベイを毎年出版する。テレビのコメンテーター、およびプログラマとしても活動している。 カレーに造詣が深く、遠藤が編集長を担当していた頃の月刊アスキー誌面には毎号カレーの話題が書かれていた。特にお気に入りなのはアジャンタというカレー店。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠藤諭」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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