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遠近道印(おちこちどういん、寛永5年(1628年) - 没年不詳)は、江戸時代前期の絵図師。苗字は藤井。通称は六郎兵衛。号は半知、久音。諱は長方。蹴鞠にも秀でていた。 == 概要 == 遠近道印及び半知の名は、『古今和歌集』1-29「をちこちのたづきも知らぬ山中におぼつかなくも喚子鳥かな」を出典とする説がある。 出身地については、『諸芸雑志』に「東武之産」とあるものの、『江戸方角安見図鑑』序に「武州浅草於旅堂書」とあることから疑わしく、生まれは越中国の可能性もある。もし越中出身であれば、藤井姓は富山城内に築城前に存在した藤井村との関連が考えられる。 いわゆる明暦の大火の後に幕府大目付で兵学者北条氏長の下で江戸の地図の作成に関わった。1690年(元禄3年)には代表的な道中図である東海道分間絵図を菱川師宣とともに著している。道印の地図は実際の方角、縮尺、区画、道路を忠実に反映した完成度の高い革新的なものであり、諸々の地図は版を重ね、自身は「図翁」と称された。 軍事上の機密である江戸城内を詳細に図示したことで罰せられ、江戸払になったとされるが、地図出版は幕府公認の下で行われており、江戸を離れて外様藩に仕官している点などから疑問視する意見もある。晩年は富山藩医として過ごした。妻子の存在は今のところ確認できず、没年も不明。『諸芸雑志』は墓所を大法寺とするが、墓や過去帳には残っていない。道印の技術は加賀藩兵学者有沢家を通じて細々と伝えられた。 同時代の地誌『江戸鹿子』に蹴鞠の名人として藤井半知の名があり、同一人物の可能性が高い。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「遠近道印」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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