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那彦図[なげんと]
那彦図(なげんと、ナヤントゥ、Nayantu)は清末民初の政治家。モンゴル族でありモンゴル・ハルハ薩親王を世襲した。 == 事跡 == 1893年(光緒19年)、鑲白旗都統兼領侍衛内大臣となる。1898年(光緒24年)、正紅旗都統に移る。1903年(光緒29年)、鑲黄旗都統に転じた。1908年(光緒34年)、健鋭営都統になる。1912年(民国元年)、烏里雅蘇台将軍に昇進した。 中華民国成立後は政党活動に加わり、共和党、進歩党で理事となった。1913年(民国2年)、政治会議議員となる。翌年、参政院参政となった。同年9月、綏威将軍の位を授与されている。1917年(民国6年)、臨時参議院副議長となる。後に、満州鑲黄都統に復帰した。1925年(民国14年)、善後会議会員となる。1934年(民国23年)3月、蒙古地方自治政務委員会委員となった。 1938年(民国27年)4月、死去。享年66。
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