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那波 宗俊(なわ むねとし、生没年不詳)は、戦国時代前期の武将。上野国赤石城主。官途名は刑部大輔。系図では長尾景長の娘を妻とするが、景長の娘は母親で長尾景誠の娘を妻としたとする説もある〔黒田、1997年、P241〕。 山内上杉家傘下の国人領主。天文10年(1541年)に近隣諸氏(深谷上杉家・足利長尾氏・厩橋長野氏・成田氏・桐生佐野氏)と連合して新田金山城の横瀬氏を攻撃するが失敗に終わる。その後、後北条氏に寝返って山内上杉家を攻めるとこれら周辺諸氏は横瀬氏とともに宗俊を攻めるが、小幡氏などの西上野の諸氏が離反した結果、関東管領上杉憲政は越後国に追われた。 永禄3年(1560年)に憲政を奉じた長尾景虎(上杉謙信)によって赤石城が攻撃され、12月には赤石城・那波城が陥落、降伏した宗俊は後北条方の有力与党とみなされたため、所領を奪われて間もなく没した。 那波氏の所領は横瀬氏(由良氏)に与えられるが、後に同氏が後北条氏に寝返った為、謙信は人質として差し出されていた宗俊の遺児・顕宗を旧領に復帰させる方針に転じることになる。 == 脚注 == 〔 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「那波宗俊」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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