翻訳と辞書
Words near each other
・ 那波多目功一
・ 那波宗俊
・ 那波村
・ 那波氏
・ 那波活所
・ 那波田目
・ 那波町
・ 那波藩
・ 那波道円
・ 那波郡
那波顕宗
・ 那波駅
・ 那海
・ 那爛陀寺
・ 那珂
・ 那珂 (軽巡洋艦)
・ 那珂IC
・ 那珂の人
・ 那珂インターチェンジ
・ 那珂中学校


Dictionary Lists
翻訳と辞書 辞書検索 [ 開発暫定版 ]
スポンサード リンク

那波顕宗 : ミニ英和和英辞書
那波顕宗[なわ あきむね]
=====================================
〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [なみ]
 【名詞】 1. wave 
: [そう, しゅう]
 【名詞】 1. sect 

那波顕宗 : ウィキペディア日本語版
那波顕宗[なわ あきむね]
那波 顕宗(なわ あきむね、天文17年(1548年)-天正18年10月18日1590年11月15日))は、戦国時代後期の武将。上野国今村城主。那波宗俊の子。通称は次郎。官途名は駿河守。妻は北条高広の娘。子に安田俊広
永禄3年(1560年)に父・宗俊が上杉謙信に居城の赤石城を落とされて降伏した際に人質として厩橋城に送られる。北条方とされた宗俊は所領を奪われて程なく没した。那波氏の所領は上杉氏に味方した由良氏(横瀬氏)に与えられていたが、天正2年(1574年)に由良氏の後北条氏への離反に直面した上杉氏は那波氏の旧領復帰を図る。だが、赤石城は由良氏の支配下にあったため、近くの今村城を取り立てて顕宗をそこに入れたという。
だが、上杉謙信の没後に始まった御館の乱で義父で厩橋城主である北条高広とともに上杉景虎を支援するが敗北、以後武田氏滝川一益織田氏)に従う。だが、本能寺の変後は上杉氏に復帰した義父と袂を分かって後北条氏に従い、天正11年(1583年8月には北条高広の侵攻を受けて撃退している。
だが、天正18年(1590年)の小田原の役で後北条氏について敗れて再び所領を失い、上杉景勝を頼る。だが、同年10月に上杉軍の一員として仙北一揆の鎮圧中に戦死する。安田能元の養嗣子になった次男・俊広以外の子には先立たれたのか、以後の那波氏の活動はみられず、顕宗の代で断絶したと見られている。
== 脚注 ==


抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
ウィキペディアで「那波顕宗」の詳細全文を読む




スポンサード リンク
翻訳と辞書 : 翻訳のためのインターネットリソース

Copyright(C) kotoba.ne.jp 1997-2016. All Rights Reserved.